江藤淳先生の思いで
1999年7月21日午後7時すぎに評論家の江藤淳先生が亡くなられました。 自殺でした。
今から40年前、お茶の水にある文化学院の美術科生の頃、評論家江藤先生が講師として、学院に来られ、何回か講議を受けました。
記憶の先生はスマートでシャープ、新進気鋭の若手評論家として当時最も注目を浴びている方だったので欠かさず講議をうけました。
3階の講堂の壇上にあがると持参された紫色の縮緬の風呂敷の中から資料を取り出され、一気に始められるスピード感溢れる授業は魅力的でした。 私語は許されず遅れてくる生徒や無駄口を叩く生徒には容赦なく注意が飛び、教室からおいだされてしまうので緊張したものです。
今回の訃報を知り一番驚いたことは先生の年齢です。 逆算すると当時先生は30歳前、28か29歳くらいだった事になります。
確かに若い先生だったけれど自分と10も違わない方だったなんて俄には信じられない気分でした。 人間的完成度は40歳くらいにお見受けしていました。
美術科と文科の生徒あわせても30人位しか集まらない授業に呆れられたのか、執筆活動が忙しくなられたのか、その後授業は打ち切られました。
「質問は?」と言われても何も尋ねることの出来ない馬鹿な生徒の我々に嫌気がさしたのがお止めになった真相かもしれません。 無駄な時間を割かなかったことは大正解でした。
(新聞の年表によるとお止めに成った理由は米国留学だったらしいが)昭和35年か36年頃の話です、それにしても当時の学院は遠藤周作氏 仁戸田六三朗先生(早稲田大宗教哲学教授) 長岡輝子先生他魅力溢れる方々の集まりで勿体無い話です。 若さと馬鹿さはイコールしていて何も気づいていないままにアッ!と過ぎていった青春でした。
先生の今回の決断はある種の美意識でしょう・・愚図グズと引きずらない最期は先生に似合う選択枝だと妙に納得してしまいました。
御冥福を祈るばかりです。