サイケデリックな日常
「ねー昔僕達の住んでいた家って相当風変わりじゃなかった?」息子が思いだしたように尋ねます。
「風変わりどころかクレイジーだったわよ」と私。「急になぜ?」
「いやこの間友達が親父たちの写真を見て本物のヒッピーだーって驚いていたからサ」
「彼はヒッピーだったけれど私はお嬢さんだったのよ、一緒にしないでよ、(笑)」
確かにその時代は第1期ロングヘアーの男達が、フラワーチルドレンと呼ばれていてすごく格好良くて綺麗だった。 デザイナーやカメラマン、ミュージシャンの彼等達。
赤坂の夢幻、ビブロス、その他名前も忘れてしまったクラブに凝ったファッションに身をつつんだ男女が群れをなし夜毎集まってくるのだ。
ブラックライトに照らされた国籍不明の若者が時を忘れ踊りくるっていたり密談していたり・・。 新しい店がどこかに開店し連日オープニングパーティーが催され、ファッション人間達はフリーパスなのだ。 招待状を束にしてハシゴまでする人気者も中にはいたし。
カタカナ職業の彼等は今までの日本男性の概念を覆すようなロングへアーやエスニックな毛皮のコートで異彩を放っていて、女達は人形のように可愛かった。
東京オリンピックの後、日本が爆発するほど勢いづいたのだ。 フリーランサーやクリエイターの若者達が食ってゆけるようになってきたのだから、元気も出ようというものだ。
女の子のメイクもあのころの流行が一番日本の娘を綺麗に見せていたように思うけど、夜の印象と朝のベッドの中ではまるで別人だったという笑い話がアチコチで起きるほどアイラインが濃い化粧法だった。 なにしろツケ睫毛を上下3枚もつけているのだから(笑)お金があれば皆同じようになんとかなる今とは大違い。 何かと工夫をして競いあっていたしブランド品は金持ちの年寄りの物!、若者は絶対見向きもしなかった。
外見も精神も無国籍な脱Japanに近づくことに誰もが夢中だったんじゃないかな?
私も彼等をお手本にする21歳でした。 ファッションが身に付いてくると、環境が気になってくる。
そうなると今度は住む所、マンションに住める一握りの幸運な人は別として当時の住宅環境は今とくらべものにならないほど貧相で、せっかく完璧にバーチャル外人で気分もゴーゴーなのにドブ板踏んで我が家に戻り倫敦ブーツを脱ぎ捨てれば10cmは身長が縮み、ベルボトムの裾を松の廊下よろしく踏んで歩く現実は頭に来る以外のなにものでもなかったし、訪問先が畳みだったりしたら情けなくって涙もでない・・ピントのずれた完全主義はハタ迷惑だったにちがいない。
お洒落の為には土足で床を歩きまわりたい!、が私の美意識の結論だった。 外人になりたい病!(笑) 私は売れないアーティストと結婚することになっていたので、家さえあればなんとかなるだろうと考え、式を挙げるかわりにその費用を親から借りて古い庭付き住宅を手にいれた。
家の中に井戸がある和風の一軒家。 土地は借地だから安いもの、中も外もボロボロで上物の値段は無いに等しいお買得物件でした・・こんな所は誰も住めない・・というような代物。 なにより家の裏庭の木々が気にいったことと、黒ねこを連れてゆくためには持ち家が必要だった。 私の人生からねこを切り離すことは不可能でした。
そこで最初に考えたことは、自分を外人にみたて「貧乏なアメリカのヒッピーが日本に来て仕方なく此の家に住むとしたらどう住むか?」仮想してみた。
答えは簡単、畳を取り去り床は板張り(一番安い節だらけの板)ふすまや障子を捨てワンルームにし、押し入れは統べて扉をつけてクローゼットにした。 ガタガタの安普請だったけど気にならない。 どうせそこらじゅうペンキを塗るんだし。
出来上がったのはサイケデリックな時代の部屋です。 天井は黒、壁も戸袋も窓枠もすべて蒼い空の色で、あとで白い雲を旦那さまが描いてくれる約束でした。 アトリエは白。 4帖半の寝室の天井部分だけペンキが足りなくて、ライフ誌やプレイボーイ誌の英字ページをコラージュした。 ちょうど旦那さまの目の上の位置には6月のプレイメイトのピンアップも忘れずに貼ってあげた。 友人達に羨ましがられていましたね、若妻の気配り?を。
ついでにタンスも鏡台も黒く塗ってしまった。 当時日本に黒いタンスなんか何処にも売っていなかったものだから・・。
傑作は台所。 玄関を開けるとそのまま流し台、さすがに井戸は塞ぎ、かわりに小さな洗面台をつけた。 流しの前が出窓、壁も天上もトイレもすべてがオレンジ色。 窓枠食器棚流し台、玄関のドアは彩度の高いきん赤です。 風呂場のドアは壁と同じオレンジだったかな?
とにかく派手ーっ! 窓には赤いギンガムチェックのフリルのカーテンで仕上げ。 すごく可愛くて貧乏が似合う自慢の部屋ができました。 色の氾濫です。
天井には宇野亜喜良先生や横尾忠則さんの描いた天井桟敷の芝居のポスターを貼り、蛍光色の紙で自作した色とりどりの巨大な花や手作りモビールをさげてインドの線香を焚けば完了でした。
大満足の我々にひきかえ、King CrimsonやLed Zeppelin、Grand Funk Railroadが大音響で喚いているんだもの、子供がちゃんと育つわけがない・・・。
5歳にしてそれとは知らないうちに世間の常識から逸脱した息子は小学校に入学しても完全に浮きまくっていたらしい。
往々にして親は無意識に子供を傷つけるものだ・・息子よすまぬ・・の若き思い出である。
そんなマガマガしい家に8年暮らし、結局その後2度とそこへは戻らなかった。 蒼い空に白い雲は描かれぬままに取り壊されました。
「今にして思えば壊しちゃう前にもう一度見ておきたかったなー」大人になった息子は感慨ぶかげに呟くのでした。 30年前の記憶を懐かしみながら・・・。