老人ウオッチング・その後

いくらなんでも暑すぎる日々、我が家の老人二人に
「どう? よわ〜くするから来年こそは冷房を入れない?」と水をむけてみた。
一段と痩せてきているのは夏バテではないのかしら、食欲も落ちてきたようだ。
「嫌だ、このまんまで好い、来年もがんばる」譲らない父である。
「体力消耗がだいぶ防げるとおもうけど?」くいさがる私。
「そんな事より、俺の甚平(着物地で作った夏用の上下)これじゃないやつ、どうした? これは生地がいんちきで暑いんだよ」
「あの破けてたの?」
「うん、親父の形見のやつさ、凉しいんだ、どうせ誰も見てやしないんだから破れてたっていいじゃないか」
それまで黙っていた母がブドウの種を吐き出しながら「捨てた」と一言。
「・・・捨てた? エッなんだよ、涼しかったのにぃ、アレ親父が死ぬまで着てたんだぞ、こんなインチキな布地じゃなくて小千谷上布だぞ〜っ」
私と母と姉で荷物を整理した春に思案の末に捨てたのだ、確か。
顔を見合わせる母と私は首をすくませた。 湯のみを片手に「ごっそうさん」といいながら立ち上がった父は
「捨てなくてもいいのに 麻だぞ、やらかくて軽いんだ、馴染んでたのに」とまだブツクサいいながら2階へ上がっていった。
ひと昔前だったら割れがねのような罵声を浴びたはずである。
首をちじめた私達は拍子ぬけし、父の後ろ姿をみおくった。 ホッとすると同時に大人しくなった父にかえって老いを感じてとまどった。
その甚平は浅草で区会議院をしていた祖父の夏の遊び着を仕立て直したものだ。 着道楽をあらわすような上等な麻はよく練れていて、紺色もおちついた粋な縞である。 暫くは着物のまま着ていたが段々布が薄くなって、ついに良いところだけを甚平に作り替えてからでも20年は経っていた。
祖父の代からかぞえれば百年は優に超す代物である、大事に大事に母が手洗いしていたものを事もあろうに台無しにしたのは実は私なのだ。
数年まえ股関節の手術で入退院をくりかえしていた母のかわりに家事全般を引き受けていた私はネットに入れれば大丈夫だろうとその無形文化財的甚平を洗濯機で洗ってしまったのである。
爪ものばしているしマネキュアもしての家事である、手洗いしていたなんてぜんぜん気がまわらなかった。 能率よくテキパキとこなしているつもりだった。 
母が最後に退院した夏に甚平はすだれ状態に布が裂けていた。 もちろん怒られた。 常識を疑われもした。 
反省した私は極薄ゴースという布を裏から当てて補強して繕った。 
雑巾みたいだったが腰のあたりや肩だったのでごまかした。 そのあいだに新しく甚平を作らせたり普段用を既製品で整え3回に一遍は洗濯中ということにして父を慣らし何年かしのいだ末に、とうとうこの春姉にみつかりもう捨てたらといわれて同意したのである。 

「悪かったネ・・ なんか気がとがめちゃう」私がションボリすると母は
「捨てたんだからしょうがない」とケロッとしてから「来客用の上布をおろすかな。 あんたそれより冷房は来年も見合わせたがいいかもよ、冷房でぐあいわるくなった・・なんていわれたらこまるでしょう」と続けた。


Retour