魂の美
もしも目の前に2本の道があって、どちらか1本を選ばなければならないとしたら誰でも少しは悩むだろう。
全く躊躇することなしに人生を選択できるひとのほうが稀だ。 迷うことは悪くはないが後になって「他方の道を選ぶべきだったのでは?」と悩む必要はないのでは、考えて選んだ道は本当は丸い一つの輪になっていて右を選ぼうが左を選ぼうが結果は同じだと知っていたら、気持ちがすごく楽になると思うのだが・・・人はそうは考えない。 人生の半分も過ぎた頃、果たしてこの選択は正しかったか不安になるものである。
苦を先行させるか楽を先行させるかは好きに選べばいい。 ただし一本の環であると考えれば、苦も楽も平等に己の人生の航路に約束されている!と知ってさえいればよいのだ。
働き者の蟻の臨終の場で「どのような人生でしたか?」と問うてみれば
「おかげさまで死ぬまで元気に働けてありがたいことです、良い人生でした」と答えることだろう。 一方キリギリスにもおなじ質問をしてみよう、やはり今際の際にだ。
「いや〜楽しい毎日だった、好きなことをして遊んで暮らせた、これ以上望むのは罰あたりです」と満足しつつ答えるであろう、たとえ蛾死であっても。
誰しも定めの生に折り合いをつけてゆくものなのだ。 端から見て幸せ・不幸せと見えることが必ずしも当人にとってそうとならないところが魂の奥深さの由縁である。
先日、第一線で活躍しておりまだ存分に働ける友人が引退をした。 尤も彼は妻子を持たぬ身なので、こうした決断が可能なのであるが、50歳を契機に生き方を変えたくなったからと大学に入りなおしたのである。 非常に潔よい決断だと思う。 住む場所も東京から生まれ故郷の京都へ移し、まったくゼロからの出発である。 彼は己の人生が一本の環である事を本能的に知っているのだろう。
生まれおちて死にゆくまでが一本の環であるなら思い通りに生きても、迷いながら躊躇して生きるのも同じ人間の手のうちにある、なればいかに死ぬかだけを考えて生きればいいのではないか? そのことにいち早く気づいたように思えたので反対はしなかった。 むしろ死を厳しくとらえることのできる人間だけに許される大きな安らぎさえ感じ、功なり名遂げた今までより魂の充足は深まるに違いないと喜んだ。
人は孤独を畏れるが孤独こそが魂とむきあえる唯一の入り口ではないか、真の孤独はピタッと心のひだに寄り添い裏切る事無く答えを出してくれる、ありがたいことだ。
件の彼は職業柄沢山の美女・女優の肌に触れる立場にあった人だが、常々美しいことと幸せであることは一致しないようだと話してくれた。 そんなこともあるのだろう。 肌に触れただけで現在おかれている精神状態が分かるとも、魂の充足へ心の目が向いている女優さんは例外なく孤独であるとも。
その厳しさが伝わるから華麗な彼のテクニックで変身させてあげたいとも語っていた。 彼の技術は自然に癒しへと繋がっていたのであろう、とにかく人気があった。
華やかさの頂点にいて常にトップを走り続けていた彼の眼が表面的な美を追うだけにとどまらず常にタレントの内面に向けられていたのを知った時、遠からず彼が今回のように新しい生き方を模索するであろうと予感もしていた。
いま彼は宗教哲学を学んでいる。
マスコミの渦中にいた男が統べてを捨ててまで選んだ生き方がやはり美にかかわるもの、魂との対話であったとは。 魂の追求無くして本当の美は語れないものだ。 究極の美意識を生きる者は最後まで美に殉ずるのか・・・何処までも繋がっている人生という環を改めて考えさせられた日である。