偉丈夫

昔から不思議なんだけれど私の人生の軌道には、どうやら普通に生きていては決して出会えないような珍しい人々に遭遇してしまう運があるようだ。
中学生の時は伯父に連れられていわゆる迎賓館で催されるパーティにも行ったことがある。 ごく平凡な庶民の家庭なのにだ。 伯父は仏教家で法句経の翻訳で有名な人だったが語学にも堪能で、インドやセイロン(スリランカ)大使とも交友を深める民間大使のような人だった。 なのでよくその手のパーティーにおよばれするのだが、私が15歳になると待っていたように
「お洒落も出来るようになったね、そろそろいいだろう、じゃ一つ社交界を見せようね」とセイロン大使館主催のパーティーへ連れて行ってくれた。 当時は文化学院の英語科に入ったばかりで制服のない自由さが嬉しくて『それいゆ』やエアメールで取り寄せる『セヴンティーン』などを見て洋服を作っては取り替え引き換えしてお洒落に夢中だった私である。 伯父は宗教家にもかかわらず若い頃妻子を残しドイツとパリに4年間も留学していたことのある進取の気性が強い人で、そんな私をむしろ喜んでくれる当時としては珍しい老人だった。 15歳で眼のお化粧をしている今でいえばとんでもない子だったのにも拘わらず必ずよく誉められた。 今憶い出してみると脚にハンディを持って生まれても全く気にしない性格はこうした伯父の誉め上手に乗せられての賜物のように思える。
小国大使館主催のパーティーと思われるかも知れないが、一国を代表している、それは正式な立食スタイルのレセプションである。 大使館でのパーティーは入り口に主催側の外国の要人と日本国を代表する宮様の高松の宮殿下が各々の御婦人方と大臣クラスの人等と共に並ばれて、招待客一人一人に御挨拶するのが習わしらしい。 きらびやかな人々の前へ進みでるのはかなり度胸が要る、15歳の少女は胸がドキドキである。 そんな時でも伯父はスッと足を進め英語やフランス語で軽く会話を交わしつつ私を「姪です」と堂々と紹介してくれるのだ、じつにスマートに。 そんな時チラリと目の端に印象的な殿方がお立ちに成っていらしたが後でお聞きすると皇太子(現天皇)の教育係り・小泉信三氏だったり。 後に美智子妃殿下のご教育係りとしても有名になられた日本の知性を代表されるお方である。 下々がご尊顔を拝めるようなお方では無い。 戦争でお顔に火傷の痕が痛々しいにも拘わらず威厳のある立派なお方だった。 伯父とは慶應義塾の同窓で親しくお話されていた。 小泉氏の容貌を気に為さる事のない堂々たる偉丈夫ぶりに圧倒された思いがあり、輝く黒い瞳の美しさにも強い衝撃を受けた記憶がある。 この衝撃が後に障害を恥じる気持ちを私から払拭することへの大きな励みにもなったのは幸運だった。 伯父は立食の会場ではタイミングよく耳元で料理のアドヴァイスも欠かさずしてくれるが大概は自由にさせてくれるので、覚え立ての英語で留学生と交流していると、サッと戻ってきては
「いいね、実にいい、伸びのびしていて、」と自信を持たせるように囁くのである。 この時期に経験したことは大概のことには驚かない度胸を付けるのに大変に役にたっているように思うし、いわゆる年頃より前の年令だったことがかえって効果的だったようにも。 伯父のいう社交界はとてつもない本物だったため、もっと大人だったら尻込みしてしまうような別世界であったからだ。
しかし18歳頃には自分の世界が確立してしまったのでもう伯父のお供はお断りばかりして嘆かせた。 上流階級には興味は全くもてなかったが伯父のおかげで小泉信三氏のお姿を拝見できたのは天の恩恵といっても過言ないほど少女期の私に魂深く響いた。
貧乏なアーティストと結婚することになった報告を伯父にした時普段は決して開けない書斎の奥の天井までぎっしりの書棚を見せて
「君たち何時でも自由にここの本を読むように! いつでも好きな時に来て良いのだから、みんな君達の本だから」と笑った。
勉強嫌いの私は実感がまるでないまんまボーッと膨大な書庫を眺めまわすばかりだった。 もちろん若い2人には伯父の書籍は猫に小判だった。
伯父は最愛の美奈子伯母が亡くなったあと数年で静かに世を去っていった。 亨年74歳の今から考えると若い死だ。 先年生誕百年を祝う偲ぶ会が催されたが弟子も既に老いていた。
「伯父さんの書庫はどうなってるの?」突然思いだして跡継ぎの叔父に聞いてみると統べて慶應義塾に寄贈したという話であった。 当然な処置で安堵しながらもあのときの伯父の声音が耳に蘇って、つくづく不祥だった自分が情けなかった。 苦学して今日をなした伯父は本を買えない貧しい書生時代をダブラせた上での発言だったのであろう、私の後の苦労も察していたのかもしれない。
今頃になって伯父の指導能力が素晴らしいものだったと舌を捲く思いである。 ナイフとフォークで正式にフランス料理の食べ方も教わった。 そのときフランス語のおさらいもするので正直いうと食べるときは食べ物に専念したいのにと、緊張して味がわからず不満だった罰あたりな少女だった。
人を見る目は養えたが語学は挫折したまま今日に至っている。


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