夜間飛行

まだ私が若い人妻だった遠い昔、渋谷の東横ホールで「ジ−ザスクライスト・スーパースター」というロックミュージカルが日本で初演されることになり評判になった事がある。 ブロードウェイで一大旋風を起こしたヒッピー達の寓話だ。 聖書と絡ませた新時代のミュージカルとして注目されている舞台の日本進出である。
グループサウンズが下火となりつつある時期で、その公演は新しい時代を予感させるに充分な魅力がありぜひ見たいと思った。 貧乏所帯ではあったが何より感性優先の若者だったので初日の特別席を手に入れた二人はその日が楽しみだった。
舞台はブロードウェイそのままに構成演出されており役者もよく訓練が行き届いて素晴らしかった。 加橋カツミ(元タイガースのメンバー)がキリスト役で高音もよく出てハマリ役であったし、集団で踊るシーンは生まれて始めて見る迫力だった。 後に劇団四季が再演していたようだが我々二人がその夜見たものは正真正銘の本邦初公演であり会場は熱気に包まれていた。
充分満足して公演終了と供にロビーへ出ると、何故か大勢の黒い背広姿の男達がお客を誘導していた。 皆を正面のエレべーターでは無く非常階段へと誘導している様子なのだ。「危険ですから〜」「誘導に従って下さい」と口々に言っている。 会場は8階である。 群集と共に階段を降りるのは足の弱い私には酷である。 夫だった人は「危ないから一番最後に降りよう」と私の不安を察して人の流れから外れたほうへ私を伴って移動してくれた。「何があったんですか?」と口々質問する人達に「エレベーターを使えませんので」と係りの男達は言葉すくなに答えるだけだった。 喧噪はひとしきり続いた。 劇場にはどれだけの人間が入っていたのだろうか? 暫くするとロビーには私達とあとひと組の荘年の御夫婦が佇んでいるだけであった。 お互い壁際に立ち人々をやり過ごしていたのだ。
ヒッピーな出立ちの私達と違って黒のロングスカートに白いシルクのブラウスを着こなした華奢な御婦人とダークスーツをビシッ!と決めた紳士である。 目があった。 三島由紀夫氏夫妻であった。 夫はかつてお互いに見知っていた様に黙礼をした。
「お待たせをいたしました。 もう安心ですのでどうぞこちらのエレベーターを御利用下さい」係りの男が何処からか飛んで来て壁のスイッチを押した。 三島氏は振り返ると私達にどうぞご一緒にというように目で促してくれてからエレベーターのドアが開く間に事情を聞いていた。
「地下の食品売り場でボヤがありまして・・事なきをえましたから」係員は私達にも同乗を勧め自分も乗り込み尚詫びの言葉をつづけた。
「大事にならず結構」一言氏は答え天井を睨んだ。
何秒間かの間沈黙だけの空間がそこにあった。 私も瑶子夫人も一言も発さなかった。
1階に着くと開かれたドアへ足をむける際、夫人は「お先に」というように軽く会釈して出られた。 その瞬間の微かな風に香水の香りがして印象に残った。
外に出ると消防車が来ていたが、確かにボヤ程度だったらしく既に野次馬も散り始めていた。
「ジーザスクライスト..」より何故か三島夫妻の方が強烈な印象の夜だった。
それから何年か経ったある初冬の日。 その日は感謝祭で、私達家族は七面鳥を御馳走してもらうために夫の友人宅へ招待されていた。 朝出がけに夫は「迎えに来るから支度をして置くように」と言い置いて出て行った。
お昼頃、子供と一緒にTVをみながら昼食を採っている時、耳に突然異様なアナウンサーの声が入ってきた。
「犯人、三島は...」と呼び捨てる声と共にTV画面には三島由紀夫氏の顔写真が...慌てて色々なチャンネルを廻すとどのアナウンサーも「三島!三島」と呼び捨てていた。
1970年11月25日の昼頃自衛隊東部方面総監部へ益田兼利総監を襲撃して人質とした後、バルコニーから「憲法改正を促す演説をした後自ら切腹した」という二ュースであった。
驚愕に声を呑んだ。 日本を代表する作家が一夜にして反逆罪の汚名を記せられ呼び捨てされている現実を呑み込めなかった。 テレビにしがみついて二ュースを聞いた。
三島由紀夫氏が人でも殺めたというのか? それ程全ての言論やメディアは「犯人三島」と呼び捨てにしていたのだ。 統べてを読んでいるわけではないが「潮騒」「仮面の告白」「サド公爵夫人」等は熟読していた。 そして何年か前の東横劇場で遭遇した印象が重なり呼吸が出来ない程驚き震えた。
作家三島由紀夫氏を好きという訳でもない。 だが無視するには存在や作品がずば抜けていた。
非常にナルシストな人で作品以外の奇抜な行動でも話題に事欠かない人物だ。 偶然といえども本人を目撃してしまった東横劇場での印象は沈着冷静な普通の人のようだった。 思ったより色白で声や服の上等なウールの匂いまで思い出せる。「夜間飛行」という夫人の香水さえ。
テレビ画面に写しだされる氏の顔は日の丸の鉢巻きをして演説している様子やわざと暗い犯罪者のような顔付きの物ばかり選んで載せているようであった。 ある種の悪意があった。 どの写真も実物の三島氏より品が悪かった。
「首は胴を離れましたッ」記者の質問に答えるテレビの中の検屍官の無表情な顔と声に私はワッと叫ぶように哭いた。 驚いた子供も口から御飯を溢れさせながら釣られて泣いた。 意味もわからず母親にしがみついて泣いた。
夕方迎えにきた夫だった人は腫れ上がった私の目に憮然として、支度をしていない私を諦めて子供だけ連れて七面鳥を食べに出かけた。 クリスチャンでもないのにこんな日に首のない七面鳥を食べようとする夫を憎んだ。「考えられない、考えられない」繰り返しつぶやきながら心から不幸な作家三島由紀夫氏の冥福を祈り、独りお通夜をした記憶がある。 斬首の人の霊魂が未来永劫成仏出来ないと哀しいと思いこんだ私は、夜中憶いだしては祈っていた。

あれから29年、やっと世間が四半世紀経った三島由紀夫を再評価するようになってきた。 夫人が亡くなってからでも数年は経つ。 私は隠れて「葉隠れ」を熟読し、四部作「豊穣の海」絶筆の「天人五衰」を読み返した。 氏の愛読書「王陽明」を読み、考えた。 四半世紀作家三島由紀夫を封印した日本人は、その間に日本文化をも封印してきたのに気づかないようだった。
人となりは多少悪趣味ではあっても憂国の士である、司馬遼太郎となんらかわりは無い。 だが片や犯罪者と呼ばれもうひとりは国葬である。 人の運命は気質に因ってこうも変わってしまうという恐ろしさを考えずにはいられないこの頃である。 彼の文学は人間性とは別物であり必読の価値があると思った。
事件がなければノーベル文学賞は採れた作家、あるいは逸したので事件へ走ったのか? どちらにしても恐ろしい業であるには違い無い。 無為の憤死であった。 諌死とまで行かないところが哀れである。 合掌。


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