苦言・真言・直言

正直に話すことは時に非常に勇気を要する。 相手の理解力を無視して何でも正直に、では行かないこともある。 あえて黙っていることのほうがよい場合があるからだ。 大人になれば増々当たり障りのない付き合い方をしがちで正直からは遠くなる。 それは誠実さからもちょっと離れる人への距離のように思う。
私の考える誠実さとは人への観察眼に変わらない持続力と持久力を持って接する!につきるので、その場凌ぎのお世辞やごまかしは正直でない上に不誠実にも繋がるから増々相手への言葉に苦しむことがある。 そこで、聞かれればできる限り忌憚なく答えるようにしている。 聞かれないことは黙っている。 逆をすると友情を失うことに最近気がついた。
しかし困ったことに考え抜いた言葉でも「失礼しちゃう!」と言われる場合があるのも事実である。 聞かれて答えたのに怒られる。 損な役回りである。 誰も言わないであろう事をあえて苦言を呈す勇気を持って当たるのだがこれが恨まれる。 自分の事に置き換えれば一時耳に痛い言葉でも言われずに、放って置かれるほうが余程苦しい。 若さは真実を恨む。 冷や汗をかいても腹を立ててもその時聞いた苦言は後に宝となるのを知るだけの年月が過ぎたことが嬉しい。 だから玄人(プロ)になると誉められれば疑う。 はたして誉められる事に自分が能いするか疑うのである。 人間40位になったらあえて苦言を呈してくれる友人を持つように心がけるべきではないだろうか。 真実に目を向けさせてくれる人を避けては損だ。
誉める人間ばかり周りに置くようになると人はアッと言う間に堕落する。 成長してゆく過程はうんと誉めて、ある程度の完成をみたら己を律する意味で敢えて苦言を呈する友人を持つようでなければ完成は遅い上に孤立する。 そんな風に考えると苦言もあながち悪くはない。
真言であれば伝えるべきであり、無駄な言葉であれば寡黙がよい。 こんな簡単な事を早くから会得していれば人生も薔薇色だったろうに。 仕事柄大企業相手にプレゼンテーションする機会が増えるにつれて反論も攻撃も味わった。 冷や汗のぶん気がついたら男女を超越していた。 言葉の選び方が変わってきた。 全ての災いは口(言葉)から!と一言多い私を諌めてくれたのも仕事仲間だった。 感情にかられて喋る前に考えながら言葉を探せば必然的に無口にもなる!こんな単純な事も働くまでは気がつかなかったのだ。 
CM演出家の故松尾真吾氏が「仕事に関しては怒ったら損だよ!」と諌めてくれたのも女だてらに散々怒り散らしていた愚かな私を見かねてのことだろう。 胆に命じた遅すぎた直言だった。 氏は徹夜での編集作業の後宿泊先の旅館で倒れそのまま帰らぬ人となったが確か享年47歳であった。 なんと私とたった7歳違いだったとは。 人間の完成度は父親と子娘くらい開きがあった。 男の責任の重さ・仕事の過酷さは老成などという生易しい言葉を超えた厳しさで肉体を刻むのだ。 40歳にして何一つ完成を見ずピーピー言っている自分をつくずく恥ずかしいと思った。 女だからという概念は捨て人間としてどうあるべきか?だけを考えるようにしてみたら叱られ上手にもなっていた。
本質に迫ろうと思ったら意見の交換は性別を超え人間として!を一義にと考えるのが筋のようだ。 なぜなら女の意見は通らない事はあっても人間の意見は必ず誰かが耳を傾けるはずだから。


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