見事な人
母の友人に、夫の死後も美しくきりきりシャンとして生きている人がいる。 80歳の現在も小針を持たせれば玄人はだしの腕まえで、母など今だに着物や父の半纏などを強請って仕立てていただいている。 時々かかってくる電話の声がまるで少女のように華やいで若い。 驚くべきことにもう20数年一人暮らしが続いているのだそうだ。
「今が一番楽しいの。 踊りをね、習っているからそんなことも刺激になって・・・まだまだ若い人に負けないぐらいのつもりで頑張っているのよ」と電話口で話す声は受け答えする私より活き活きしている。 まったく恐れ入る。
母の女学生時代のクラスメートのその方は産みの親を知らないもらい娘だそうな。 遠慮しいしい育ったおとなしい娘さんで結婚後もお舅お姑さんにしっかり仕えそれぞれを見送り、更に仕事一筋だった夫が病に倒れた後も甲斐がいしく看取り自分のために生きる時間は無かったそうである。
独り息子さんは音楽関係の仕事で有名な人だ。
「神経を使う仕事だから下手に心配させないようにって...私がちゃんとしていないと」と言葉をつづける。「ママの所は静かで原稿書くのにいい、って時々尋ねてくる時も嬉しくって書く間おつき合いしちゃうのよ。 いいからママもう先に寝て!って言うけど、ねえ!嬉しくって眠れるもんですか、って言っちゃう」笑いながら話す声が弾む。 電話を切ってから何時も深く溜め息をつく私である。 60歳くらいまでの女の一生を統べて人の為に生きた人が孤独となった最晩年に自ら震いたたせるように日本舞踊を習い名取りとなり今だに現役で踊っているのだ。 町内会ではスターなのだそうだ。 何時でも人が集まるようになって寂しいなんて感じる閑が無いと言う。
「今まで苦労したぶん神様が御褒美を下さっている!そんな感じよ」という言葉を何度も反すうしてみた。 体力的にはとても無理であっても精神の向上心だけでも見習いたいものだと思うからだ。 神様って公平だなって私も密かに同感した。 先日開かれた踊りの発表会の写真が届いた。
「はじめてしっとりした女の風情を踊れました..まだまだ負けません。」と結んであった。
見事とはこう言う人を指すのではないだろうか。