本に関してのダンディズム
働き盛りに本を読むのは難しい。 学生の時のように纏まった時間がないとなかなか億劫で、無理にでも時間を作らないと読めるものでは無い。 私は広告の仕事の中で最も忙しいテレビコマーシャルのスタイリストだったので読書の習慣が30〜40代には一番欠落していたようだ。 空いている時間があれば映画や舞台・コンサートと手っ取り早く情報を得られるものを優先していたからだ。 現役時代は本とは無縁に過ごしていた。 そのことが引け目ではあったが事実とても時間を捻出できなかった。 母があまりに乱読の人だったので反動もあるのだ。 本ばかり読んでいて部屋がかたずいていた事がない、本の片手間に家事をする人だった。 彼女に言わせれば掃除をする閑があったら本を読む!のだそうだ。 壁から本が落ちてきそうな乱雑な部屋が私は大嫌いだった。 しかも彼女の本は玉石混合で手当たりしだい、新刊本を山のように買っては貪るように読み家中に増えるばかりなのだ。 お金に換算したら一身代くらい本に注ぎ込んだのではないだろうか。 身についているか?といえば全く怪しい。 ここだけの話だが・・・
私が同居を決めた時に本の整理をしてスペースを空けたのだが6帖と4帖分が空いたことでも分かるとうり本はアチコチ異常繁殖していた。 積み重ねられた本はギッシリと隙間なく抜き出すことさえ困難で整理するのは重労働であった。 しかも売った時は二足三文。 本屋に言わせると系統だてて揃っていないから安くなるのだそうな。 本だらけの部屋は整理整頓からは程遠かったし、そのうえ湿気を呼ぶせいかカビ臭く陰気なのだ。 本棚が窓を塞いでいたから尚更である。 本を整理したら見違えるようなまともな部屋になったから不思議だ。
そんな訳で私は自分の本には神経質である。 ホコリが着くので本棚はトビラかガラス戸のあるものしか好きではないし、めったに小説本は買わないのでスッキリしている。 できれば本専用の部屋が欲しいと考えるくらい本が直接目に触れる状態が嫌いなのだ。 趣味は読書とは言えない部類の人間なのだろう。 部屋の美意識としてもそうだが趣味が読書ではないから人間形成の基の種本数十冊を隠して置きたいのである。 これでも必要な本はしっかりと読んでいるのだから。 学生時代の賜物に読書指導の先生から読書ノートを付けさせられていたのが良かったように思う。 学生時代にどんな本に巡りあえるかも重要である、読書ノートは好い習慣だった。 本に関しては手許に置いておくに足る本か判断するために先ず図書館で借りて、その上で購入を決めるくらい慎重になった。 何故なら本は増えだすと捨てるのに苦労するのは母の本で経験済みのうえ高くは売れないと知ったからである。 仕事柄外国の写真集などを沢山資料として買う必要があるため、いわゆる小説本は勿体無くて買えない只の貧乏人に過ぎないのだが。 本棚には資料となる洋書がぎっしり、歴史の本と古典が数冊に料理の本数冊、辞書と論語に数十冊のお気に入りだけである。 あっさりしたものだ。 無駄な本は一冊たりと置かない覚悟で臨んでいるからだ。
母の本は厳選したら二つの本棚に収まったので、以前のように地震が来ても本に潰される恐れだけは今の所なくなった。 書庫のつもりで置いた部屋がいつのまにか洗濯物が下がっている相変わらずの整理ベタではあるが気分は本専用の空間だ。 本箱には美代子蔵書と母の名前をつけてあげた。 今では新聞の書評をメモして注文さえすれば毎週区の図書館の人が本を届けてくださるので活字中毒の母も満足していられるし良い制度だと感心しきりである。 この制度がなければいまだに我が家は本が増え続け床は重さに傾いていたのではないかゾっとする。
父の蔵書母の蔵書私の蔵書、息子の代になって残る厳選された本こそ残されるべき本である、と確信しつつ図書館を利用している日々である。 本は読むべき時期に集中して読めば事足りる。 手元に置くべき本は生涯に何度も読み返す本が好い。
そんな考えの私が畏れいった本の虫、の人がいた。 読書家としてもつとに有名な内藤陳さんだ。
あらゆるジャンルを読破する本好きの彼が酒場を開いた。 新宿ゴールデン街にその名も「深夜+ワン」というバーだ。 本好きでなければ行くことは出来ないという噂であった。 特にハードボイルド小説を好きでなければ駄目だとの事で彼の快優ぶりのファンであった私はガッカリしていた。
そんなある日友人と偶然「深夜+ワン」の前に通りかかったら内藤さんが店の前でタバコをふかしている姿に遭遇したのだ。 私は思い切って尋ねてみた。
「あの、本を沢山読んでいないとお店へは入れてもらえないのですよね」
内藤さんは笑って
「そんな事ないけど、何も読んでないってことはないでしょう?」と聞いたので「"Long goodby" なら読みました」と答えると「それを読んでれば充分だよ」と言って狭い店内へ招じ入れてくれたのである。 私にとっての唯一のそれがハードボイルド小説だったのであるが・・
それから暫くしてまた今度は本好きの男友達を誘って内藤さんの店を尋ねた。 お礼を兼ねてと本好きの男の人がどんな反応をするか興味もあって赤い薔薇をむきだしで一輪だけもって店に入った。
「先日のお礼です」と薔薇を差し出すと内藤さんはニッコリ受け取ると茎をスパっと適当な長さに切り、なんとなんと御自分の水割りグラスに挿してクルクルと氷りをかき混ぜてから目の上に薔薇入りのグラスをかかげて「乾杯」、飲みほしたではないか。 私達が店にいる間中薔薇は内藤さんのグラスに挿されていた。 店を出た後、男友達はカッコ好い〜を連発していた。 「参ったよ」とも・・・
次にその店に入ったとき、内藤さんは無言で壁の方へ視線を投げた。 そこにはあのときの薔薇が壁に止めてあったのだ。 彼はハードボイルドな微笑みをうかべた。
本は伊達ではなかった!としらしめてくれた人。 ひと昔前の話だ。