賞味期限切れ

今年一年を早めに振り返ってみると実によくサボった。 我ながらあっぱれな自堕落生活。 あとにも先にもこんなに何もする事のない生活を送った事がない。 考えるに住居環境の激変で家事労働が減ったためである。 息子が別世帯になったので独り分の食生活を賄うだけ、あるいは父母の食事に招かれて適当に摘み食いするだけの毎日。 時間も適当、お腹が減ったら食す気ままかげん。 今までの忙しさは何だったのだろうか? 実に不思議だ。 去年まで朝から晩まで次に何を食べるか、食べさせるか、そのために手配する八百屋や酒屋・スーパーへの買い出し時間がリタイアした身にも一大事だったのに。 女性は実に多くの時間を愛するものの為に台所で費やしているということか。 昔、現役時代は24時間営業のス−パーが青山にあり便利で事務所の帰り気軽に買い物をしていたが、リタイア後は時々買いだしに出かけて大量に買いだめするようになった。 人間はお腹が空くと不機嫌になる動物らしいので、なにより冷蔵庫にタップリと食料が詰め込まれていると安心なのだが気をつけないと賞味期限切れになりやすい。 今でこそしっかりと表示されているけれど以前はそうでもなかった。 冷蔵庫の管理が苦手な母は私の鼻を頼りに冷蔵庫の物を識別させていたっけ! だから母が病気で入退院を繰り返していた時は、何処に何が入っているかキチンと仕分けがされて冷蔵庫がピカピカだった。 私が統べての家事を担当すれば潔癖性のため、何処もかしこも磨きたてておくだろう。
ところがそうはいかないのが現実だ。 老人が元気という秘けつは自由にさせるに限ると数年間の観察で会得したからには、すべての権力の移行はどうも宜しく無い!とお互いに察しはじめたのだ。
食べ物をこぼしたり、椅子の上に着物や足袋が積んであったり、本がテ−ブルの上に出しっぱなしだったり、目が悪い事もあって汚れに気がつかなかったりで、老人に元気の素の日常生活を自由にさせることと、かたづく暮らしとはイコールしないのだ。 テリトリーを分けるしかない。 統べてを私がしきった数年は喧嘩が多かったのも事実だ。 お鍋の置き場所にさえ意見が食い違うのである。
実の親子でさえそうなのだから嫁姑では無理なわけだ。 永年の使い勝手がそれぞれ違うし私と母では背の高さもまるで違う、私に便利な場所が彼女には目にはいらない高さだったり。 見えるところからどんどん物を突っ込むので古いものが奧で2度と出てこないまま迷子になるからだ。 見かねた息子が野菜室がまん中で引き出し式、冷凍室が下でやはり引き出し式の2段ある遣い勝手のよさそうな大形をプレゼントしてくれた。 だがやはり今だに母は冷蔵庫を使いこなせてはいない。 1ヶ月に一度私が整理をして奧から迷子の賞味期限切れを捨てるのだ。 暮を控えサボってばかりもいられないと冷蔵庫の中の物全部出して掃除を始めた。
「一ヶ月で良くこんなに汚すわね〜冷蔵庫はゴミ捨て場じゃないのよ、お皿のものはこぼれやすいからタッパーに要れないと。 これも期限切れ! あらこの油揚げ、何時の? まさか先週捨てなさいっていったお揚げじゃないでしょうね?」
「えっと!うん?ちがうちがう、一昨日かな」トボケる母。
「だって匂い変よ!」等と相変わらずのおしゃべりを交わしながら母が雑巾を濯ぎ手渡してくれる。
「ほら、この壜。 いいかげん捨てて」せっせと拭き終わった分を返し新しい雑巾を受け取る私。
そのとき母が「ね〜人間の賞味期限ってないの?」
「何言ってんの!あるにきまっているでしょう、私達がそうよ!」
少なくとも我が家は父母はじめ私も、そして足下でスリスリしているココ猫も期限切れに違いない。
「嫌だッ!もう変なこと言わないでよ、皺ができるじゃない」
2人羽織りのお粗末な我が家の暮風景。


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