最初の挫折
大の字に眠っているのは3匹の猫達だ。 私はといえば「ちょっと、頼むから退いて。もっと向こうに寄ってよ」猫撫で声でお願いしつつ空いたスペースに身を滑り込ませる体たらくだ。
寝返りもままならない。 酷い。 完全に猫達に占拠されたベッドに安眠は無いではないか。
「甘やかすからアンタが悪いのよ」母が面白がって悪口を言う。 確かにそのとおり。 一緒に寝てはいけない!とあれほど獣医先生に言われていたのにこうなったのは一階の障子の所為だ。 ピタっと閉めて寝たはずが朝になると3匹がチャッカリ乗っている。 「???」なんとびりびりに破られ紙がぶら下がっているではないか。 しかも3箇所も。 「こら!せめて共同の入り口を使う気持ちはないの?お前達!」一喝する私に我が家の3匹は飛び上がって各々の作った穴から走り去って行った。
もう、こうゆうところが徹底してる変な彼等に呆然とする私だった。 それにしても日本の家の作りは変わっている。 障子一枚で内と外を分けるのはつまりある種約束であって、決して用心や秘密を守るためではない。 「つもり」という見立て文化に乗っ取った様式が今だに続いているのさえ不思議だが、高い知性と教養のなせる生活様式であるには違いない。 明らかに私の気配のする部屋の外で留まるように約束事として猫に守らせるなんてことは理不尽である。 引っ掻けば破れるのを知った猫は思い思いの場所を破って闖入してしまったのだ。 その夜から障子は開けられたまま閉められた事がない。
それにしても破れ障子とはよく言ったもので、精神までが荒廃してくるような景色だ。 せめて切り張りでもして養生してあれば別だが大人ばかりの我が家に久しぶりに出現した破れ障子は、やる気をなくするに充分な「嫌〜な気分」をもたらした。
「どうせ又破るだろうから勿体ない」母達の意見に逆らわなかった私の大失敗だった。 暮に一新した障子。 いつも開いている障子に猫達はまだ爪を立ててはいない。 ふっととおりすがりにチラリと一瞥しておもむろにシッポをユラユラさせて障子から遠ざかる。 「はじめから開けておけばよかったのよ」背中が無言で抗議していた。
江戸時代の猫は飼い主に一番下の桟を一枚開けておいてもらってたのだろうか? 我が家のように3匹の個性が別々の場合、やっぱり3箇所紙を貼らない優しい気配りな飼い主もいたかもしれない。 日本の家屋は手入れを怠る事を戒める作りになっているのは確かなようだ。
破れ障子は侘びしさの見事な体現であった。 猫が破ってもマメに張り替えようと誓った。