馬鹿げたことを考えて挫折した話

コンプレックスって本人が隠そうとしてもヒョイと姿をあらわして、当人を攻撃してくるから厄介だ。
私自身、人を印象だけでどうこう決める事は決してしないつもりでも、あんがい潜在意識では職業や環境で判断しているのかもしれない、いけないことだ。脳みそに仕込まれている才能や能力という遺伝子はお洒落や見た目じゃはかりしれないものなのに。
眼力にはちょっと自信がある。
そんな私が事自分に関しては見栄をはったばかりにせっかくのゴ−ルデンウィークを無意味に過ごすはめになった。
息子がLAに旅行することが急に決まったので駐車場が10日ほど空になる、そうだこの隙に屋根と外階段を塗ろう!と思いたった。
ここまでは6年毎のメンテナンスで必ずやらないと錆びが出てくるのでお決まりの行事なのだ。
鉄骨むきだし屋根トタン、外階段も雨ざらしの剥げやすい3階建ては40年以上経っているため苔さえ生えている。
外からは一体どうなっているのか分からないおかしな構造の家。しかも3世代が住みこなしているため和洋折衷なので垢抜けないし外観は痛みが目立つちょっと貧相な建物だが狭さを有効利用して別段不自由はないので案外気に入って暮らしていた。
躊躇もせずにお客も招いていた。
なにげなく招いた若者が戸惑いの表情をみせた時、自分の感性への自信がグラッと揺らいだ。
今まで決して家造りがステイタスの究極の目的じゃなかった私が、ふと不安になったあの一瞬が脳裏をよぎったからだ。
むき出しの配線や変電機の箱を同色の塗料で塗ってある壁を面白がって笑われた。もちろん悪意は微塵もないがリッチになった日本の若者には20年まえのチ−プシックってもう通用しないんだ、滑稽なんだ?そう漠然と思えた。
ペンキで外装も塗ろう・・・。
私のアキレスの踵は若者とずれてしまうことなのだ。
息子が留守の間に塗り替えて驚かそう。4月3日に塗装屋さんが打ち合わせにやって来た。充分間にあうと請け合った。
出発間際に口を滑らせた時、息子がOKはしたもののモルタルの壁に這った緑のツタをそのままにして!と言いおいて出かけていった。彼、待望のツタなのだ。
「どうせ塗っても構造じたいが変わるわけじゃないよ」とも。
このときそこでストップすればよかったのだ。
でもちょっと心が見栄病にかかっていて、ツタの生えていない正面だけでも塗りたいと考えたのが失敗のもと、最初の話しより断然小規模になったせいか見積もりがとどいたのは息子の戻る3日前。
どう考えても商売にならないと判断されたらしい。体よく放っておかれたのだ。
連休の前には間に合うのか?念をおして聞いてみると大丈夫との答えだった。
父にいわせると改装には絶対見積もりを出させてはいけないそうだ。かえって高くつく。おもったより手がかかるので多めに損しないように云ってよこすのが常だそうな。なるほど。

散々待たされて24日から入ったペンキ屋さんは世間並みに9日間も連休を取っていたために途中雨が降ったら案の状延期、我が家は足場とホコリ除けのネットが下がったまんま休日に突入、置きっぱなしにしたハシゴやカンの山で外は普段よりも一段と汚れて酷かった。しかも晴天つづきな日々。嘘〜!
「ちょっと御挨拶に・・」といわれてもお返事もできないで気落ちした。
潔癖症の私は泣いたのなんのって・・・こうゆうことが裏目って言うのだろう。

「どんな家に住んでいたって、お便所が綺麗だったら良い・・人間の本質はそんな所には無いって言っていたのは誰?今さら見栄をはるからだよ」と息子。
あ〜そのとうり、私、多分魔がさしたんだとおもう。しかも、しかも選んだ色が・・とクヨクヨしていたら・・・
購読雑誌が屆いた。
同世代の大好きなベッシィ・ジョンソン、(ニューヨークのデザイナー)のインテリア写真をエルデコで見ていたら自分の中途半端さが良くわかて哀しかった。
彼女は一貫した自分の好みをけして捨てていない、言い換えれば大人になっていない。
身の回りに自分尺度のお宝を後生大事に徹底して飾りたてている。
愛情をもって接するのは家だって物だって根気が要るんだってこと。古くたって住んでる以上恥ずかしがるのは自分の全歴史を否定していることなのね。
昔バリバリ仕事していた時、人がどう評価しようとも自分の本質は家でも服でもない、仕事にあり!そんな自信で一杯だったのに。
何の事はない老いたのだ、精神が確実に。世間の目を気にし始めたって事は着実に老いの徴候を自分の中にみつけて足掻きはじめたってことだ。これは愕然をとうりこして呆然とした。
それにひきかえ若々しいベッシィの今だにチ−プシックで渾沌とした色の氾濫を見ていて、自分の精神の甘さってコンプレックスをコントロ−ルできないからじゃないかって、気がついた。
50歳を過ぎてもお花畑をひっくりかえしたような部屋に住んでいるベッシィ、あなたは素敵。私もかつて持っていたおんなじような感性、勇気、すっかり萎えている自分が忌々しいったら・・。
人に見せるための家じゃなく自分が安らぐための家、そのためにこそする努力で充分だったはずがいつから人目を気にしだしたのだ。
わたしって馬鹿、いうまでもないが。


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