私は残酷な一面を実は持っていて、男の人を平気で捨てる癖があるのだ。と書くとまるで自分が絶世の美女かなんかで手当りしだい男の人を手玉に取っているように思われたら困るが。ハッキリ言うと、全くモテた記憶はない。いわゆる世間でいうところのモテる人生は私には無縁だ。
黙っていると全くモテないのである。だから黙ってはいないのが私。つまり黙ってモテる日をジっと待っていることはしないのだ。

女性には3とうりのタイプがあるそうだ。
1.男性にちやほやされる女性=もてる人
2.男性に選ばれたいと願っている女性=願望の人
3.男性を勝手に選ぶ人=期待しない人

これは昔私の年上の友人Mの口癖で、1はベベと呼ばれた見た目も声も可愛い人を例にとり、2は森瑶子がまだマコと呼ばれていた頃で、Mに言わせると常に選ばれたがって苦しむのがマコだったそうだ。3の待たないで自分で選ぶ女が実は私なんだと、Mは笑いながら「それがホントは一番、良いんだよ」と皮肉たっぷりに言ったっけ。
若い私はまだ希望も捨ててはいなかったので、内心憮然とした。言い得て妙な言葉どうり、結果、私は同性にモテても異性からは常に距離をおかれた。デートなんか黙っているとまず誘われない。その割に人並みに映画や展覧会へ男友達と出かけているのだから矛盾しているようだが、これは誘うようにしむけていたからであって、黙っていたらどうだったか疑問である。15歳くらいからはエスコートして!と目的を告げて要求したからに過ぎない。何の事はない、行きたい所へ行く為には口に出すめげない人だったのだ。
ちゃっかり主導権は握ったうえでお供させるのである。
何度も言う、黙っていないから不自由はしないがモテない事にも気がつかないだけの青春だった。

反対に一つ違いの姉は異常にモテていた。たえず男友達が群がってバッティングする。断るのに苦労している様を見て羨ましいと思うより厄介そうで気の毒だった。
無意味にモテるのも苦労なものだな〜、軟弱な連中にいくらモテても金輪際嬉しくないやと悟りも開けた。

姉と違い私の男友達作りには決定的な規準が在った。合理的実務思考なんてことばがあるのかどうか知らないが、興味の対象は自分にない美点や特技の持ち主のプロにかぎられていた。
物事のコツを聞くのが大好きだったのだ。鳶職の親ッさんから大学の先生、はてはカンツォーネ歌手まで遭遇すれば何かしら有意義な話しを引き出して「師」のリストに入れていた。

厳選された彼らは不滅で強くいてほしかった。だから弱音や挫折を語る時例外なくリストからはずされるのだ。
ほんとうは女が度胸がよくて男が繊細で傷つきやすいという事実をまだ知らなかった頃の話しだが。
そんな完全な男性がフリーで現存するとはとても思えない、仮にいたとしても当の彼が私を選ぶことはまず以ってないだろう。そのくらいの自覚は持ち合わせていたので18歳にして既に深い男性不信に陥っていたのである。
するとどうゆう現象が起こるかといえば期待しない女、選ばれるのを待つまえに自分で選んで自分で結論を出すしかない。

声の良い男がいた。関西と東京、離れているが声を聞いてお喋りするだけで楽しかったが、ある時、優秀な編集者だった彼にかげりが出はじめた。
電話口で酔ってくどくど喋る声が変わって行った。
もう単にダミ声に過ぎなくなっていた。
「そんな声でもう二度と電話かけてこないでね、しっかりしなさい!」
何度目かの電話の後私は冷たく言い放った。
しばらく沈黙がつづいた後男は「解った、悪かったな」と電話を切った。
あれから二度と電話がない。冷たさは私の一つの愛だった。


Retour