寿司くいネェ

知る人ぞ知るだが、私は寿司好きだ。どれだけ寿司屋に授業料を払ったか?聞かれると恥ずかしい額を唯一の道楽としてはたいてきた馬鹿である。
味覚の原点は千葉に疎開していた3歳の頃に既に培われている、海岸で拾うアサリや蛤を食べたり干してある海苔を盗み食いしたりして養った塩の味とほのかな旨味成分の組み合わせが特に好きという、おつな味に目覚めていたチビだった。いわゆる酒の肴のようなものが好きなのだ。
釣り好きの父にも感謝しないといけない。戦後の食料難の時代に採れたての鰯や一夜干し鰺、穴子の蒲焼き、アサリ等のシチューが食べられた環境は恵まれていた。
私が偏食に苦しんだのはもっと後、世の中が落ち着いて学校へ行くようになったり街に住むようになってから始まった。都会では魚が生臭くて食べられないのだ。
あれほど好きだった魚を見向きもしない少女に成長していった。いわゆる偏食でかなり両親を手こずらせた記憶があるが流通の発達していない当時、都会の魚は往々にして半腐れだった。
海辺で育った人間は、魚介類の美味の規準を新鮮さと共にしっかり舌に記憶してしまうものなのか。微妙な素材の味を舌の味壺が捕らえたら、生涯その子は絶対音感ならぬ絶対味覚を得るに違いない、なぞと馬鹿なことまで考えて。子供の頃ほどその感覚は研ぎすまされるようだ。創造力豊かな子にしたかったら最初の塩味にはこだわりたいのである。市販のベビーフ−ドでは無理だ。物の味は塩いのち、甘味は素材の持ち味で十二分に味わえるえる。塩加減をキャッチ出来ない人は味覚音痴といわれても反論できまい。濃い味と砂糖の甘さに慣れてしまうと味壷は損なわれ鈍感になるといっても過言じゃなかろう。

だから新鮮なネタを使うしか料理法のない寿司は何より味覚を満足させてくれる好物となったのだ。
魚貝と飯と酢と塩と砂糖と山葵と醤油、シンプルきわまりない料理ともいえない素材のハーモニーが舌の上に噛み砕かれて混ざりあう一瞬の至福、この瞬間を味わうための数カ月の労働も消し飛ぶ喜びが極上の寿司にはあるのだ、と信じていた。

自由に自分の稼ぎを使えるようになった私は、まっ先に寿司屋通いをはじめてみた。まず馴染みになる必要がある。昔から寿司職人は偏屈なところを持つ人が多く、金に任せて注文しても喜ばない。
つけ台の前に並んだ中のその日一番のネタを気づくか否か、職人と客の勝負の瞬間だ。それには足繁く通う必要がある。これは!という店が決まったら浮気をせずに通い詰めるほうがいい。
無理して仕入れた素材を目敏くみつけて「あ、うまそうな真ダコだな〜、ね、それおつまみで頼めるかな」と言えるようになるまで3年。するとこちらから注文をしなくとも鯛の皮は湯引きしてポン酢で出てくるわ、タコは生のまま薄づくり、吸盤は軽く焼いてキュウリと共に箸休めで、はたまた誰かがギャルの為に注文して要らないよ!といったアワビの肝等、一番旨いところが黙っていても目の前に出されるようになるのである。
あんなふうに通になって阿吽の呼吸で職人さんとやり取りしたいものだ、何度も心に誓いながら地味な苦労をつづけて寿司通になっていくのである。
女は生意気になってもいけない、適当に知らないふりもしつつ、教えを請いながら酒品を崩さないように客としての地位を登っていくわけだ、時間とお金、忍耐も必要となる。
3年たっても優遇されないようであれば、その店からみて落第のお客なのだ。即店を替わる。またゼロからやり直し。ただ3年間は舌にしっかり活きているので案外他の店での地位は早いはずだ。
ついでに此処が肝心なのだが、勇気を奮って暫くご無沙汰をした前の店に顔出しをしてみる事をお薦めする。例外なく優遇される不思議を味わうだろう。
あきらかにお得意を一人自分達のプライドで失っていたことに気がつきはじめた彼らは勢いにまかせサービスのかぎりをつくしてくれるからだ。
授業料は無駄とはならない。こうなったら時々覗けばいい。その店の贔屓客のリストに載ったと実感できるはずだ。
こうして20年の歳月をかけて渋谷、一の橋、四ッ谷、神田と馴染みの店を開拓していった。
どの店も思いで深い。体調がおもいのほか悪く沈没した店では、いつもは途中で注文しない吸い物椀を持ってきて体調の調節をしてくれるようになったり、良い思い出ばかり、たった一件を除いては・・。

(文字どうり叩き出された、というより追ん出てきた寿司屋があるのだ。)15年くらいは経つがこの話をすると何故か皆笑うのが情けない。
なんでもかんでもニューウェーブが流行りで和食にもフレンチにもカリホルニア・キュイジーヌとかの新興産業のような食文化が台頭しはじめた頃の話である。
インテリアばかりモダンな店内、黒ずくめや大理石、食器や家具の贅沢さだけが目立ち、料理の味はお話にならないくらい寒い店が雨後のタケノコのように生えてきて。そういう店は入る前からわかるので用心していた。
そんなある日、原宿近辺で仕事を終えた私は4〜5年前に一遍だけお得意さんと行ったことのある寿司やを思い出した。良い店だったが私達以外客がいなかった。2時間いる間、客より寿司職人のほうが多いのも気がひけた記憶があった。 檜の付け台も磨きこまれ壁に掛かった職人の名前が書いてある、これも檜の名札も感じよかったので、疲れて移動するのが大儀だった私は一見に等しいその寿司やへ行くことに決めた。ガラ空きだったのも好もしい記憶だった。
久しぶりに看る店のたたずまいは他所の繁栄にかかわらず古びて変わりなかった。
ところがカウンターだけの店内は意に反し満員だった、若いいわゆる業界人種、カタカナ職業の男女で一杯だ。運よく出る人と入れ替わるように店の一番奥のいつもなら女将さんが座る場所へ案内される。窮屈で隣接する人も心持ち斜に座るほど押し合い、内心賑わう店にホッと安堵もしながら職人を看る、両方でお互いの記憶を値踏みするように「おまかせですが、よろしいですか?」と聞かれ疲れて面倒なので渡りに船と頷く、間髪入れずお絞りが出され、手を拭き終わるまもなく大振りの黒椀が肩口から饗された。
「お酒ね」慌てて好みの銘柄をいいながら目の前の黒いお椀の中をみつめて私は驚いた。
目を疑う。
「お口しのぎに、どうぞ」手のひらを上に泳がしながら、どうだ!というような板長の目。
私は一瞬ぼんやりとして声が出なかった。意味が分からなかったのだ。情けないことに。
一文字に白いご飯が盛られ湯気をたてている。お茶会席へ行った人なら誰も知っている、あのひとヘぎ、杓文字でよそったご飯。虫おさえに!というあの流儀がなんと寿司やでいきなり出たのである。
店内を見渡しても煙と喧噪の中で誰もが満足そうに笑っている。
洒落であろう、混んでいるしネタを握るまでのお愛想だろうと、味も素っ気も無いその白いご飯を呑み込んだ。
つづいて何かの小鉢、お酒が来てその温い燗にもちょっと腹がたちつつ次ぎが又椀だった。見るとお澄ましの良い匂いの中にあやしい丸い物二つ、どう見ても朝拝んだ代物に見える。
「何これ!」一口齧って私は叫んだ。青い梅干しが塩抜きして良い加減の吸い物椀の種に鎮座していたのである。ここは寿司やではないのか?不安になった、塩辛の箸洗いのつもりか・・・
私はまたも板長の顔を盗み見た。確かに5年前の職人である。
「ご酒を飲み過ぎないように、工夫をこらしています」でもここは寿司やだろう、ありていに寿司を素直に出してくれないかな、恨めし気に見回してみても握りを摘んでいる人は何故か居ない。有り難そうに出される小鉢を押し頂いて喜んでいるやからばかりが紫煙に浮かぶ。
近頃のどこもかしこも小鉢ばやりにうんざりしていた私はぶつぶつ、
「何これ、こんなの寿司やじゃない」と連れにからんだ。お銚子2本開けても一向に握りが出ないのはもはや事件である。
「ここの流儀ですんで、ひとまずがまんしましょう」連れは根気よく小体な小鉢の底をつついている。お腹が好いている時お酒と肴が寿司を媒体に同時に満足をもたらすあの至福がないまま、奥から真っ赤な塗りの大椀が出てきた時に私の堪忍袋が切れたのだ。
椀の中はどんなに活きが良くとも江戸っ子ならば握りが出るまで絶対口にしたくない、鰯の煮たのが2尾、生姜の匂いに包まれて申し訳なさそうに寄り添っていたのである。白目をむいて。
「なぜ、寿司やで、よりによって鰯の煮たのを食べなければならないの?どうかしてない?」息巻く私に左隣で一人で大人しく飲んでいた30代の男がメガネの顔を真っ赤にさせながら突然怒鳴った。
「お前、何様のつもりなんだ!」
「単なる寿司好きですけど」叫びかえしながら「信じられない、どんなに上手に処理しようが煮てしまえば鰯は生臭もの、握りの前にたべたかないわ!」
「なら帰れ〜!」客は怒鳴り、
「もちろん、言われなくとも帰ります、私は寿司を食べにきたんだから。御愛想して」私が立ち上がって客の背中にぶつかりながら狭い店内をもがき出てくる間、何事か?というように客達は首を廻して私達を見上げた。はずかしくともここは胸を張るしかないだろう。 「ごちそうさま、お騒がせしましたね」
その間板長も職人達も一言も発せずなぜか目を伏せていた。

ぷりぷりとしながら近くのバーに辿りつき事の次第を馴染みのママさんに報告していると、背後でパチパチ、手を叩く音がした。
「邪道です、君のいうとうり。あんな流儀を寿司やで押し付けられたら利休も泣きます、しかも煮た鰯なんか出すなんざ〜実に邪道です。かねがね僕も腹が立っていたが、よく席を立ってきましたね」と紳士が握手を求めて来た。
店中のお客が笑った、皆なにがしかの不満をその目と鼻の先の寿司やに持っていたが言えなかったようなのだ。
追い出されたようなものだが、そうとも言えず、その晩はひとしきり江戸前寿司の生き残りに関して盛り上がり、バーでは来る客来る客にビ−ルと私の武勇伝が尾ひれをつけて振る舞われた。

商売というのは実に難しいものなのだと実感した夜だった。
不満たらたら愚痴った私も大人げなかったが、客を開拓しようと必至に工夫を重ねた板長は明らかに本来の寿司喰いを捨て、新人類にターゲットを絞り成功していたのである。招かれざる客は私であった。
そのうちカルフォルニア巻きとかサラダ巻きとか味覚はどんどん私をおいてきぼりにして、時代は急速に無国籍になり、「老兵は死なず静かに消え去るのみ」とばかり寿司やはおろか、あらゆるものが音を立てて私から遠のいていき今日に至るわけである。
邪道とつぶやいても時代は常に大衆を味方にし、固執するものは滅びるしかないのが現実だ。
多数決に負けたのである、何の事はない、数に頼る民主主義なんて寿司さえ堕落させる怪しい代物なのだ。


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