花盗人
「僕が花を持ってくると、よくお泣きになりますね」
N君は月見草を花瓶に入れながら穏やかな笑顔をみせ尋ねた。
不本意ながらそれは当たっていた。
初めて誕生日に白い薔薇をもらった日より何故か涙腺がゆるみやすくなっていた。
ここ何年か事務所に花を飾るのが精一杯で自分の部屋に飾る花を倹約していたから、綺麗に片づいているとはいえ何かが欠落している寂しさが漂っていた。
緑はアイビーなどを増やし、果物の種は必ず鉢植えに植えてミカンもレモンもピーマンの種さえ芽を出させた賑やかな窓辺でも、花を咲かせる程には太陽の光りが届かなかった。
花を贈る名人だった男友だちは都合のよい時だけぶらっと来て、ビジネスの愚痴を言って帰って行く。50歳を目前に自分のまわりから華やかなものが全て音たてて遠ざかるような恐怖が暗くのしかかり憂鬱な日々だった。
急にケチになった私は自室に花を飾るのをやめ、打ち合わせがない時の事務所の花をやめ、平行してどんどん臆病になっていった。
パリから帰って就職していた息子もあまりのハードワークに遂にドクターストップがかかって下宿先から家に戻ることになっていた。そして浪人生活に逆戻り。
世間はバブルの絶頂で浮き足だっているのに、我が家は病人だらけだった。
こんな時こそ団結しましょう、と言ってくれるN君に給料を値上げ出来ない分、息子と一緒に食事を出すことにして、せめて栄養補給と外食出来ない息子に寂しい思いをさせまいとの工夫をはじめたのだ。
おなじテーブルで家族のように食卓を囲んだ。テーブルクロスを整えお皿も綺麗に気くばりをして時間の余裕が出来たぶんゆっくり生活することにした。
けれど花はテーブルにもう無かった。
「なんということ、私の人生なんてあれだけ働いて、テーブルに花も飾れない人生なのね」と溜め息をつく私に先の見えない状態の息子は目を伏せるだけだった。
そんな時、朝、事務所へ来る途中のN君には仕事が増えていたようだ。ある朝、手に大きな紫陽花を1本持って現れたのだ。
「どうしたの、綺麗な紫陽花?」怪訝な目を向けるとN君は「花盗人は罰せられないと言うじゃありませんか?来がけに有楠川公園から拝借してきました。」
ケロリと答えた。
その日のランチは紫陽花が主役だった。
そしてアヤメが一輪、クチナシが一本・・・というように。
「困るよ、もし見つかったらど〜するの?」心配になってきた私にN君は「大丈夫です、時々公園を替えてますから・・」と微笑んだ。
そしてその朝、彼は月見草を手に現れたのだ。
「知っていますか、この花?」
絶句するしかない。
ええ、知っていますとも、この花の開く音さえも・・・不覚にも私はまた、泣いたのだ。
N君の過剰なまでの真心も胸を刺した。
花を倹約することをやめたって罰なんか当たるわけがない。
だってもう十分に寂しさや貧しさは味わいつくしていたんだわ、と気がついたら呑気な気分になってきた。