カサブランカ60本

なんでもかんでもデカイ事が好きな友人がいる。高校なんかサッサと中退して故郷の北海道を後にし、東京で見事にデザイナーとして成功している大物だ。ひとまわり年下なのだがビジネスがうまく、その手腕には密かに舌を巻いていた。
廃屋になった鉄工所を二足三文くらいの安値で借りて、お手のものの美術で改装したアトリエはちょっとしたスタジオ替わりにもなるくらい広かった。大男なので狭い所やミミッチイ話が苦手らしい。不動産の利用の仕方が上手いというか、着目点がいいのである。
吹き抜けの天井は見上げるほど高く、むきだしの梁は白くペイントされ、ガラスの天窓が取り付けられてからは一段と明るくてまるで二ューヨークのソーホーのようなのだ。
「ここが原宿、六本木だったら凄いね、この広さを確保するのは・・・」
やっかみ半分にそんな事を口にするデザイナーもいたが、都会の外れだからこそ、ボロの鉄工所だからこそ格好いいのに、解かってね〜な!と豪語するような男だった。
今なら珍しくもない事ではあるが当時30にもならない男が軽々とやってみせていた。
勢いあまったのか、巨大粉屋(精米所)を借りて入り組んだ迷路のような店を作り、広すぎて失敗した事もあったがその建物もユニークだった。
不動産運の良い人間も世の中にはいるものだ。おかしな物件がむこうからやってくるらしい。 するとセットデザイナーらしく本能的に改装意欲が掻き立てられるというわけだ。 我が家の入り口にバーを拵えたのも彼である。
「人の家で遊ばないで」と文句を言ってもとりあってもらえず作られた空間だ・・今となってみれば凄く便利で、CMじゃないけれど“玄関入って直ぐバー”は3世代同居の混乱を解消する応接室代り、これ以上ピッタリな空間はちょっと想像出来ないくらいフィットしているのだが、普通の民家にこんな事をしでかしたのは20年も前である。私一人では考えつかない発想だった。

杉並にある彼のアトリエは細い路地の奥に目立つことなく在った。外観は古びた倉庫なのだから「なんだ」と思ってドアを開けると打ちのめされる。
賭けで勝ってせしめたという巨大な石の彫刻等が無造作に置かれていたり、壁面の隠しトビラを開けると床から天井までギッシリ詰まった資料や本が整然と納められ、一歩踏み込むと不思議に興奮する空間は大きな鏡と大きな黒いテーブルが中央に据えられ、点在する絵や家具は海外の本物ばかり。きょろきょろと目が泳いでしまう。
天井が高い事に慣れていなかった我々はこの空気感に一遍に参ってしまうのだ。
集められる絵や写真は時代の先端を行っている。
インスタレーションで有名なクリストのキャンバスで被われたグランドキャニオンの絵は高価だったのか経理の部屋に架けられた時、
「本物を勿体ない。私の部屋に掛けていただいて、いいのでしょうか?」と恐る恐る経理担当の婦人が聞きにきたくらいだが
「数字ばかり睨んでいても楽しくないでしょう?良い物を見て心を休めてくださいよ」
とねぎらうように言ったりするので年寄りキラーの異名もあった。
圧巻は壁のように見えるトビラにかくされたキッチンやバスで、その工夫が珍しい時代で羨ましくて何度も覗いてみたりした・・・外からみると廃屋の鉄工所が実は中がモダンで設備にお金が掛かっているのだ、という発想に男気があった。
何故事務所にバスがあるの?と質問したら、昔、助手時代に汗のまま打ち合わせに行く自分が惨めで、自分がボスになったら一番に整えたかった環境なのだ・・・と聞いて唸り、当然と思って無感動に使用してる助手達に憤慨したものだ。

小金を握るとすぐ外車などを購入する俄成り金のカメラマンやデザイナーが多い中、スタジオ(仕事場)に設備投資する男を、私は賢いな・・・と、遥か年下なのに内心高く買っていた。
仕事の面でも人気があった。愛嬌があって男気があるから人が嫌でも寄ってくるのだ。
二つ返事で引き受ける気軽さは実はアシスタント泣かせだったようだが、勢いのついた彼を芸能界も放っておかなかった。
新宿から離れた場所なのに問題にせず、沢山のタレントやミュージシャンがこぞってプロモーションビデオの企画を頼みにやってきた。
洗い曝しのTシャツを着ていても国産車で走っていてもでっかいスヶール感がついてまわるのは、ほんとに格好いいものを知っていたり古いものの良さを救い採る力をいっぱい持っているからに違いなく、時代もぐんぐん彼を取り込んでいった。

では万全の体制か?というとなんか一つ危なっかしいのは日本が置かれた時代のスピードもあったろう。
本人は満足からは常に遠くいつまでもやんちゃなままで、永遠に大人にはなりきらない、未完成さと葛藤してるのかあれこれ模索しているように見えた。
活気のある事務所と裏腹に助手達は常に疲れ仕事に追われて消耗していたのも気になった。
それは広告業界の事務所にありがちな蓄積された睡眠不足とでもいうのか、あるいは不完全燃焼の澱がたまりまくっているとでも言うのか?そんな彼等が必要以上の人員ウロウロしていたが、気の毒に長続きする若者は少なかった。
ボスである当人は彼等よりもっと睡眠不足なのに元気溌溂なのだ、どこからこの差はでるのだろう。

若くしてリーダーになる男と使われる人間との差は歴然としてしまう。
下済み時代の彼を知っているが、独りで5人の先輩の助手を軽々とやってのけていた。いつも楽しそうに好奇心いっぱいの目をして、しかも要領が良かった。
彼の脳裏には目的意識や欲望が明確な形として出来上がっていたのだろう。だから人の5倍の仕事を迷いもせずに嬉々としてこなせたのだ。
喜んで仕事する人間が常に好かれるのは、何も広告業界に限ったことでもないだろう。技術は仕事をしてゆく内に往々にしてついてくる、問題は仕事が好きか、楽しいか?だ。
彼は楽しんでいるように少なくとも見えた、忙しさまでも楽しんでいるように。

瞬く間に30歳未満でCM界の頂点へ駈け登っていた彼の欠点はやり過ぎだった。仕事量が尋常じゃなく、キャパシティを超えていたためか?人材が育たなかった。 凡人だったらとっくに死んでしまう量のCMの美術、企画、演出と捌いていった。
時代と添い寝する・・・という嫌な言葉があるが、時代の勘を掴む勢いは確かに在ったと思う。そんな彼を羨望の眼差し抜きで見なかった男達は果たしているのだろうか・・・
息子が彼のところで修行したいと言い出した時、ハードな業界だけに心配もあったが、彼以上に息子を仕込んでくれる人材はないとばかり、息子を彼の元に預け、更に強引に懇願して退社させた。
どちらの時も「いいよ」の一言だけだった。
予想以上にハードでドクターストップがでてしまったのは誠に残念だったが、修行できた1年半は貴重な素晴しい財産になっている。凝縮されつくした時間を経験し、後悔はなかったようだ。
好き、だけじゃ勤まらない仕事も在るのだと、ハッキリと息子本人が自覚できたのも、四の五の言わずチャンスをくれた彼の度量の大きさに因ると思う。

私が業界を引退すると会う機会もなく、バイタリティーのお裾分けに預かる事もなくなり、まして息子が退社してからは風の噂や時々電話してお互いの近況を話す程度の疎遠になっていた。

1998年の7月、電話が掛かってきた。息子がフリーとしてどうにか食っていけるメドも立ち恋人も見つけて、仕事がらみで二人してパリへ出向いた直後だった。
それもこれも彼の元で多少なりとも修行できたおかげであった・・・パリから絵ハガキが届いたそうだ。
近況を伝えると彼の幼かった息子達が既に大学生にまで育っていると言う、他人の子の成長は何故か早い。
「・・・おかげさまで、どうやら私の子育ても無事終了したみたい、 どうなる事かとおもったけれど危ういとこで逃げきりセ〜フ(笑)色々御心配かけました。」
「おう、それは良かったね、今度こそ、いいかげんにホッとけよ!御苦労さんでした・・・何かお祝い、送ってやるよ」と上機嫌。
業界は冷えこんでいるはずなのに・・・そして間髪を入れず嫁姑問題に釘さすのも忘れなかった。

翌日寝坊した私が下へ行くと母が満面の笑みではしゃいでいる。
「事務所へ行ってみて!凄い花が届いてるから〜!
・・・これはお婆ちゃんへ・・・て書いてあったからあたしが貰ったわよ
適当に水に入れてあるから、ちゃんと活けて来てね」
とピンクのマルコポ−ロの花束を指さし浮き浮きつけ加える。
年寄りを喜ばせる天才的男なのだが、本人は18歳から家を離れ心配のかけどうしだった母上を先年、故郷で亡くしている。恐らくそうした反動なのであろう・・・
「あらあら、おばあちゃんにまで、気を使っちゃって〜出世する人は違うわね〜、対応素早いしね、昨日の今日だもん、驚いちゃう」と騒ぎながら通路を開けて・・・のけ反った。
なんだなんだ、この香り、この大量の花の洪水は!
ひと気のない小さな事務所は60本をこえる大輪の真っ白いカサブランカで足の踏み場がなかった。
花瓶が間にあわずポリバヶツまで動員されていた。
カウンター床、テーブル、ありとあらゆる所に
カサブランカが乱舞していたのだ。
「うひゃぁ〜〜!いったい何を考えているのだ、」
一本に花と蕾みが10輪以上もたわわについている見事な見事なカサブランカ、嬉しいのをとうりこして呆れた。

ご近所にも強制的に貰っていただきえらく感激された。家の一角はただならぬ花の香りに包まれたことだろう。
「いくらなんでも多すぎたわよ、」お礼方々昔のよしみに思いきって伝えると大笑いした後、
「良かったじゃない、御近所に喜ばれる事なんかしてないんでしょ?」と屈託ない。
それはそうだけど、まったく大物の考えることは理解を超える。
真夏のカサブランカ、お水取り替えがまた一大事だった。
しかし、誠にいいヤツなんだ、憎めない・・・笑いをこらえて母とふたり、大騒ぎしてお水を替えながら沢山ありがたいね・・って言いあいました。

ふっと気がついたのだが運の良い人間て何かしてもらうより、圧倒的に人を無条件に喜ばせる事に異常に熱心なようである。
運を呼び込む力の謎、ちょっと見たような気がした。


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