有終の美のはじまり
21世紀。2000年の除夜の鐘から一呼吸しただけなのに、非常に遠くまで来てしまったようで馴染みが薄い、って当たり前なんだけど。
やけに歳をとってしまったようで出る幕がないような途方にくれた感じ、が正直な印象なんだな。
老いた両親も喜ぶより「はて、どうしたものか」というような顔をして20世紀を振り返る特番に見入っていたっけ、いやに無口になっていた。
縁起担ぎに角に竹と松を飾り大根〆も去年より大きい4尺の大盤振る舞いにして新年を迎えました。
気掛かりだった事全てクリアーにして21世紀を迎えたつもりでも、いつもの年より地味な気分が襲うのはこの先の時代が予測がつかないことに加えて、何より折り返し地点がまじかな最終レースだからか。
あなたの夢は何ですか?なんて賀状に書かれてあったけど、何をいまさら、思い浮かばず憮然とする・・・
残り火みたいな人生だってば。
今以上に自立してなるたけ迷惑をかけないように自己管理をしっかりやっておまけの人生を乗り切りましょう・・・と気合いをかけあいながら2001年と記された記念ボトルのワインで乾杯してみました。
雑記
28日
お飾りを済ませる。
29日
数の子を米のとぎ汁に漬けて塩出し。
30日
階上の若者・・といっても既に35歳の息子とお嫁のフミちゃんと車で四ッ谷へ最終の買い出し、二人とも見た目が若いのでついつい子供扱いだが2年目にして始めてお正月を一緒に過ごす・・突発的に髪の毛を切った私に驚いていた。
スーパー丸正は肉は今一つだけど魚はイキがよい。河豚のチリ用を買う。
クリスマスに手に入らなかった生鱈の白子があります!、とフミちゃんが言うので見るとスケソウ鱈だったので止す。 値段も凄く安い。真鱈の白子は倍の値段はするし、そうそう出回らない。 スケソウ鱈は昔は蒲鉾にしかしなかった。今の若い人はこれが生の真鱈だ、と思ったら困るので教える。 まずいし匂いがあって鮮度が落ちやすい代物だから私は使わない・・・。
蟹すきにする蟹を選ぶ、悩んだあげく茹でてあるものにしたが。(これは失敗。蟹自体旨くも何ともなかった。カツオだし汁で誤魔化してなんとか仕上げたが蟹は生にかぎる)出刃を使う体力が急激に落ちていたので殻を捌く自信がなかったのだ。料理も体力勝負、年々レパートリーが限られてくる寂しさ。
頂いたマグロのトロと赤身があったので鯛の3枚おろしとタコだけ買う。
鰤やすずきが丸のままごろごろ売っている、けれど三が日はお客はしないので横目で見るだけで我慢。
つづいておでんの種を数種類、昔の神茂が既に売り場から姿を消していてこれもさびしい。 江戸前の蒲鉾は鱚(きす)の白身が混ぜてあって旨かったものだが今は鱚じたい東京湾で釣れない、やっと天婦羅屋でお目にかかるくらいだから仕方ない。 「昔とくらべて物の味がどんどん落ちている」、が父の口癖だが私もそんな気がする。
鶏の手羽や紹興酒や母に頼まれた仙台味噌とかを買ってひょいと見ると神戸牛の特売、ステーキが激安なのでつい衝動買い、普段ここでは肉類を買わないのに神戸牛を一枚2400円するので2枚だけ、老人用にヒレ肉、母と私用に一段下のサーロイン、オックステールと牛スジ肉もしっかり買いこむ、半額で安い。下の冷蔵庫は満杯なので3階に入れさせてもらうように頼む。 買過ぎを気をつけていても既に山のような袋を車に押し込み帰宅、そのまま下の台所で食事。
ありあわせの三平汁とタイ風刺身、カイワレ大根を一杯敷いて鯛の半身をスライス、松の実など散らし山葵醤油でタレを作る、ごま油にするのを忘れてオりーブ油だったので今一つだった。
3人とも買い出しだけでぐったり。
31日
大晦日は若者がそろって忘年会へ出かけたので老人だけで河豚ちり、これは美味しいらしく黙々と食べて御機嫌な二人。こうして自宅で河豚が食べられるなんて便利このうえない、ひと昔前は出来ないことだったのにと心和む。 中落ちや白身の空揚げなんかも作って食べさせたいな。
両親が2階へ上がってから料理の仕込みをする。 朝までかかる。
作った物:鶏の紹興酒煮、お煮染め少々、蓮の酢ばす、慈姑と鶏、大根の生酢、数の子を日本酒と醤油で漬けておいたものをお重に、黒豆は既製品、いくらの醤油漬け、昆布巻き。
おでんの大根とこんにゃく、昆布を下煮。
お雑煮の出汁を山ほどの焼きカツオ節で取る、良い香り。鶏のスープと合わせ「鉢巻き岡田」<銀座の割烹料理の名店>の流儀に負けない出汁が出来た。
既製品の錦玉子やタコやお刺身を綺麗に切ってお重につめる。
築地場外市場で、姉夫婦が買ってきて差し入れてくれたマグロのトロがやっぱりスーパーの品と比べものにならないくらい美味だった。 タフならば築地まで出かけて色々仕入れるのに、とちょっぴり悔しかった。
買っておいた浜防風や紫蘇の花、芽ネギ、タイ産の小さなアスパラ等をあしらって、料理屋風にあれこれ飾ってみる。
11時、夜食に降りてきた父に年越しのお蕎麦を茹でる、山葵と海苔を添えてついでに仏壇にもお供えして一年のお礼を言う。
こんな下ごしらえを部屋の暖房を切って用意していたら朝になってしまった。朝帰りの若者一眠りするので合わせて起きることにして母とバトンタッチ。
夜、若者、明治生まれのお爺ちゃん、大正生まれの母など3世代で宴。
例年あげるお年玉、今年は無し、去年に風呂や台所へ大量寄付したのでスカンピンなのだ。
ステーキも美味しかったがI.H.ヒーターは焼き色と粉吹き芋の水分の調節が思わしくない、けれどお雑煮のおつゆが天下逸品の仕上がりで我ながら満足。息子など「おぉ!」と大袈裟に喜んでいた。
巷で評判のオザワの苺の御菓子をデザートに。なるほどね、でも何故松たか子が洋菓子のオザワを知っているのか謎、とみんなで訝ることしばし。ちなみにオザワは近所のケーキ屋、最近、松さんのお陰で超有名店になり行列ができる店となった。しかし何で苺に生クリームが乗ってチョコでコーティングしただけの苺シャンデに人が群がるのかサッパリ理解できない。一個180円もなんだかな〜。
2日
フミちゃん、里がえり
3階に男の友人ばかり集まる。ドタ靴がうるさく登り降りが明け方まで、禁煙の3階から煙草を吸いにガレージに降りる足音なり。
下は蟹すき(カツオ出汁に豆腐、鶏のつくね、三つ葉と柚)とお刺身、上はお嫁さん作り置きのカレーらしい、年賀状の返事書きとTV三昧。
姉夫婦達はスキーへ、年下の旦那を持つ姉は常に旦那に気を使うがこれは案外正しいあり方。両親は妹の私担当で充分なり。
3日
おでん
土鍋は使えないのでこんな有様・・・
そそくさと帰ってきたフミちゃんを交えて再び宴。鶏の紹興酒煮、好評。味がしみて冷めても美味しい。私のレシピでは砂糖は入れず甜麺醤と牡蠣油を紹興酒に入れて煮汁を煮詰めるのです。五香粉と八角、生姜のスライスも入れ1時間以上とろ火で煮込みます。
河豚のぶっかけのサワークリーム和えとかマグロの中トロ等、で美味しく頂く。
フミちゃん実家からの千疋屋のフルーツシャーべット、やっぱり苺がおいしい。苺は千疋屋!だものね。母、大満足。
父は正月と言えども6時には盃を置いて2階へ上がってしまうし若者はお酒を飲まないので宴といっても斯様にかんたん。
2001年は終末美を意識して暮らしたい、家族で過ごしたかったのだが不意のお客さまもまったくなく内輪の静かな三箇日。
息子の口から、パリの友人から再度仕事のオファーが来ているという話を聞く。ぜひ行きなさい!日本で仕事するより面白いわよ・・・とけしかけて煽る。日本にいるより甘えの効かない外国で揉まれる事のほうがきっと実りが多いに違いない。
どうするか分からないと言いつつ嬉しそうに3階へ戻った二人の背中をみながら意に反して「ふ〜、」っと溜め息がでる。
寂しいような気もちょっぴりな新世紀の幕開け。