メディタレニァンの戦士
立て続けに若い友人が遊びにみえた。ひと組は新宿でチュニジア料理店を開いている「ハンニバル」の直子さんとモンデールさんだ。
偶然のことから奥様が遊びにきて、引っ張られるようにハンサムだ!と評判のモンデールさんまで遊びにみえたのだ。深夜特急のシルさんのレポートから想像するだけだと、やたら賑やかで騒がしいお人のように思えたけれど実際にお話すると、まず超がつくほどの美男子、顔の小さいことといったら私の3分の1しかない。
接客の小部屋・・・と自分で勝手に呼でいる私の部屋に入るなり「綺麗な部屋ですね!落ち着く〜」とのっけから私を喜ばせてくれる。
絶望的に古く狭い空間を、あきらめずに暮らしているだけの私が一番耳にしたい言葉なのだ。繁栄からは完全に取り残されている我が家は、工夫だけが取り柄なので事実大した部屋では無い。なのになんだ!と思われるのがいちばん辛い。
そこのところを一瞬にして言葉にしてもらえた。日本人とやはり大いに違うところだろうか。
16歳でチュニジアを離れて終に極東まで来てしまった青年だが瞳の奥に並々ならぬ生命力が秘められていてただ者ではない!と直感する。
お店も順調だが1年目に、ちょっと客足が遠のいているのが悩みのようだった。
努力しても空回りする時期もあるし、時間が解決することもある、そんな話しをしながらずうずうしくも手料理で一緒にお食事をする。
さすがプロ、コツなど教えてくれながら、おふくろの味楽しんでくれる。お土産のワイン(magon)を空けたあと、シャトーマルゴーのpavillon rougeの89年ものビンテージを開けると凄く喜んでいただけた。
価値が分かってもらえる人に飲んでもらえてワインもさぞ嬉しかっただろう・・・常日頃、お客さまへのサービスに全精力をついやしている彼がほんとに一瞬リラクスしたようにみえたのは嬉しかった。
(いわゆる大学などの学問はチャンスが無く逸した人だろうが)飲み込みの早さ、美意識、情熱どれをとっても才気溢れ、どの世界でも一流になれる人だろう。仮に若さゆえの暴走があったとしても、焦土から何度でも立ち上がる、まるで戦士のような人だな!と思った。
チュニジアへの望郷の念は見ていて痛いほどだ。日本で手にはいる情報は良い悪いを別に自分の耳、目で確認しないと自分が無くなりそうで、そこは直子さんにも理解して欲しい・・・と静かに睫毛をしばたいて笑った。そんなものだろう、だって少年の時国を出たのだもの。
ご夫婦で喧嘩になることはモンデールさんの頭の中の絵が直子さんに伝わらない時だそうだ。これは愛する者に良くある食い違いだから、うまく折り合いつけるしかないね、とお願いする。まだたった30歳、完成された紳士でいたらそれこそ変だもの。まだ野生児でいいんじゃないか?
翌日直子さんからメールがきて
「あの何所へ行っても30分と落ち着かないモンデールが時間を忘れたのには驚きでした。」とあり「今度二人でパトラさんの手の届かない高い所、掃除してあげようね」と言ってます。・・・と結んであった。
日本人は決してそんなことは言わない。これには驚いた。嬉しい思いと一緒に彼の気がつきすぎる優しい感受性に少し心が痛だ。
なぜならお店とお客の関係は実に微妙で忘れたころに思い出す元愛人のようなもの。待ち続けられていると解ると足が重くもなるらしい。優しさは傷付き易い心の表れでもあるからだ。
おおらかに平気のへいざで気紛れな客を待てるといいな〜、計算上手な経営者の顔と一枚のお皿の上に感性を開かせるサービス精神の料理人の顔は常に対立する。
適当に忙しく適当に閑なそんな店に早く気持ちが慣れていってほしいと切実に願い祈った。
ぜひ一度いきたいものだが不便な地下の階段が隠居の出陣を阻むのだ。
お店で見せる顔とちがう静かなモンデ−ルさんと直子さんがすきだ、息子の肩を抱くようにして笑う瞳の奥に闘う戦士の本物のやさしさが見えた。