猫椅子
大袈裟な、と笑われるかもしれないがココ猫を失った虚脱感は尋常じゃなかった。
たった2日の寝ずの看病なんかたいした事はない、それより母の日の5月11日に亡くなったことにさえ意味があるように思えてしまい、堪えた。
もっと長く連れ添って私を慰めてほしかったのだ、なんと自分が弧独であるかを、いやでも思い知らされるその後の日々が辛かった。
どんなに強がってみせても脚のみならず背面筋も著しく衰えた私の日常生活は不自由で動作はまるで亀のよう・・・俯瞰で見ていたらさぞ滑稽に違いない。
猫用トイレのシートを取り替える間の中腰さえ保てず、どんどん頭が下に落ちてしまう。こうなると自力で背中も起こせないので常に腰掛けた状態でお襁褓を挟みで捌く有り様。
柱の下から順に掴まる取っ手が欲しいな、と考えるようになっていた。
入り口や階段の手すりどころか、そのうち柱の至る所に掴まるフックが出現するにちがいない我が家・・・。
そこをまるで見計らってでもいたかのように?突然吐いて、たった2日の看病の末に15年5ヶ月の一生を終え天国へ逝ってしまったココ。
私を少しだけ楽にしようとでもしたのだろうか?ココのオシッコの量は糖尿病のせいで多く、日に4回はトイレ掃除が必要だったのだ。それに、長い患いだったらとても看病しきれなかっただろう・・・。
猫糖尿病の注射は時間を守る事こそが一番難しいのだが、普段私がしているボランティアのような仕事は接客の時間帯がお客様の都合で日ごとにめまぐるしく変わるため1日2回10時間あけてする注射が朝六時〜夜六時。そのうち、つい昼十二時〜夜十二時にまでずれ込むことがあった。 今年の春はいつになくお客様が多かったのも災いしたのだろう、人間優先の適当な間隔での注射時間がココを急死させたのではないか?そこへ考えが行きつくと万事休す、クヨクヨ悩みはじめて止まらない。 そして気軽にヒョイと抱き上げ病院へ駆け込めない自分の体力を責めるのだ。 仮にココ猫ではなく他の家族の誰かだったら一体私にどれだけの看病が出来るのだろうか? 知恵だけでは到底カバーできない。 使う体力や費用などはココ猫の比ではないはずだ。口ばかり元気でも自分がほんとは何も出来ないことに情けなく落ち込む。かと思うと次の瞬間・・・いや人間ならば救急車も介護保険もあるじゃないか、第一言葉が話せるだけでも、とカラ元気になったり支離滅裂な繰り返し。
抱きしめながら希望どうりに腕の中で死んでいったココには、あらゆる私の考えられる愛をそそぎ最高の看病をしたつもりなのでその事に後悔はないのだが、それは四十九日も過ぎてしまった今だからこそそう思えるのであって、当初は対処が正しかったかどうか確信が持てず自分を責めた。
亡くなる頃のココはムラな食欲でご飯を残すことが多かったのに薬の量は同じだったのが間違いだったのかもしれない。死因は低血糖による痙攣から心臓の発作。
看取った夜は日曜日で私一人だった。前日からのひっきりなしの痙攣にほとんど寝ていないココをベッドの上で抱きしめながら頬ずりしてにいる時、く〜っというようなお別れの一声とともに夜10時30分に心臓が止まった。
絶叫するように名を呼んでもそれっきり、あっけない臨終だった。
いつまでも暖かさの残る身体が切なくて抱きしめながら更に泣いていると目が閉じていない事に気がつく。苦しかったのか驚いたような表情である。
口を閉じさせ、そして目の上に手を置いてしばらく抱いて泣いているうちにいつもの穏やかなココの寝顔に戻っていた。
「これが生きてる私達のお勤めなのね・・・どんな姿で亡くなるかもしれないのだから目を閉じて死後硬直のまえにこうして整えてあげるのが、側に居る人の役目なんだ・・・わかったわ、ありがとうココ。」
そう呟きながら、お通夜の準備の為にココをベッドにそっと寝かせた。
意気地のないことにこの歳になってもまだ人の死を看取ったことがない私は、ココの最期にも、何かしら学ばせてもらおうと必死だった。
数年前、梅四さんが「ココ参謀」の灰皿を送ってくれた時の段ボールにココと私のイラストが描いてあったのを思い出し天袋から出すと、そこにお布団を敷きガーベラに埋まったココを寝かせる頃には、外出から帰った息子が黙って頭を撫でてくれた。またひとしきり発作のように号泣してしまう。
kyoがしきりに慰めてくれながら「病院へ行けばパトラは見舞いに行くのも困難だし、こうして抱いて看病できてココは喜んでいるよ」と言ってくれた。
しかしこれで良かったとは考えられず、その夜中顔が腫れるまで泣き明かし、お通夜の準備をしながらまた激しく泣いた。
ココの大好きな花、色とりどりのガーベラをフミちゃんが買い占めて来て、昨夜の間にあわせの古いお花と交換する。家族でしんみりとお通夜をした。
日の良い13日に「心を込めて掘らせていただきます」とフミちゃんが言ってくれたので、あるか無きかの庭に母とフミちゃんが協力して穴を掘り、ガーベラを敷きつめ、その上に菩提樹の数珠姿のままココを北枕で静かに横たえた。
可愛い寝顔のような穏やかさ・・・顔の上には、直接、土がかからないように大きいガーベラの花束で覆い、お腹のうえに大好きなシュ−クリムを載せてから、黒い土を肩、首、頭の後ろへとかけてゆく。
花の色と土の色のコントラストの綺麗さに見とれながら最期の最期まで美意識につつまれながら姿を消してゆくココ。
おっとりとしたフミちゃんの手でしずかに埋められていった。
「長い間ありがとう、ココ」と各々が呟いた。
お通夜と御葬式を済ませた翌日、「死んじゃったものはしょうがないわよ、ココは幸せよ。あんなに看病されて抱かれて死ねる猫はそうはいないもの!」と変な慰め方をしながら母が続ける言葉は、
「・・・ところで、明日なんだけど、あんた料理する気が進まないだろうし・・・外食にするからやっぱりやるわよ!
だって私達だって寿命が残り少ないんだもの、ね!」
と前から決まっていた父の誕生日を兼ねた家族宴会を取り止めるどころか、面倒がる父、父が行くならとしぶしぶの息子夫婦、この日しか空いていない姉家族を連れて浅草へ繰りだした。いつでもドライな母である。
<ココのお別れ会をしましょう>とでも言ってくれれば奮起もできたものを「生きてる人間が大事よ」ときっぱりと譲らない。
こぬか雨の夜、たった独りで留守番をする羽目になった私は、こんな時にピッタリと寄り添ういつものぬくもり・・・ココがもういよいよ何処にも居ない事実に胸が潰れ、叫ぶように大泣きしてしまう。
価値観や感性がまるで違う家族の中で孤独感に苛まれる時、何度暖かい丸い体を抱きしめて、やり場のない気持ちを無言で見上げるココの瞳に語りかけたことだろう。
柔らかな前足の感触、咽をならす音。舌で嘗められながら「困ったね」と言うたびに目を細めて同意してくれる腹心の友が終に消えたのだ。
ひとしきり泣いて、それでも何か食べねばと泣き腫らした目で開けた冷蔵庫はみごとに空っぽだった。
父母と違い私はインスタント物はほとんど食べない。パンも無い卵も切れて隙間だらけの冷蔵庫を虚しく睨んだ。
冷蔵庫の中身確保は私の仕事である。ココの発病、臨終、お通夜、葬式の5日間、誰も食料の注文をしなかったせいだが、それどころでは無かったのだ。
ココの居ない虚しさへ空きっ腹が倍増して襲ってくる。もうこうなると大のおとなが独りをよいことに辺り構わず泣きじゃくる・・・という間抜けさにチップとクララは怯えて近寄りもしない。
「皆にはまだ誰かが居る、けど私にはココさえ、もう居ない〜ッ、美味しいものが食べたいのに〜何も無いの・・・」とひとしきり嗚咽。完全に壊れてしまった夜だった。
そうだ、きっと何かお土産があるはず、気を取り直し我慢をし期待しつつ待つこと3時間。やっと戻ってきた母達は、
「お土産?あるわけないでしょう!好き嫌いが激しいあんただもの」と姉のくれた人形焼きをテーブルに乗せた。
馬鹿の一つ覚えの仲見世の人形焼き、こんな物が美味しいと思った事もない私だが、そういえばココは小豆やアンコが大好きだったよねぇ!と思ったその瞬間、空き腹の怒りは悲しみに取って代わり、またも大泣き・・・息子は物も言わずに呆れかえって3階へ逃げ戻った。
完全に子供還りしてしまった私の涙は暫く枯れる事がないくらい・・・昼夜を問わず頬を濡らし、息子夫婦がパリへ戻ると晩にココのお墓に蝋燭を灯すことだけが楽しみな、仕事もしない日々がはじまった。 さしものドライな母が台所一手に引き受けてくれ、木偶人形となった私は病人のようにベッドに転がった。ココ猫の死は、私から僅かな社会性まで消し去ってしまい、極端に無気力でやるせない日々が続いた。
残されたチップとクララは暫くの間、私の姿がちょっとでも部屋に見えないと狂ったように啼く。彼等なりに私を求め慰めてくれているのだろうか。
まとわりついて見上げる目の必死さがまた愛しいので頑張ろうと思っても身体は動かないのでどうにもしようがない。
<いつかまた辛い別れがくるまではとにかく君たちが最後の卒業猫だよ、絶対に私より先きに逝くのは許さないからね!>つぶらな4つの瞳に言い聞かせてみるのだが、はてココほどに私の言葉は伝わっているのだろうか・・・。
すこうしばかりおつむの弱い半分野生のふたりは、私を慰めるつもりか、やたらに足元にまとわリついて煩いばかり・・・<あぁ、ココは決して私の足元を邪魔をせずにむしろ庇うように一段一段、ゆっくりと階段を降りては振り返ってくれたのに>とチップとクララの挙動が一層ココの愛を呼び起こす。
そんなどうしようもなくやるせない日々を2ヶ月ほど過ごした後で、私はやっとある一計を案じた。決して褪せることのない思い出をココ猫に捧げるためには私自身の残り火の人生を抱き包んでくれるものが必要だ・・・と。 そこで、立ち上がるのに便利な曲げ木の椅子を、要らなくなったココの注射代分で購入することにした。
届いたその日、椅子に座り華奢な丸い曲げ木の肘かけを握りしめてみた。
思った通り、ココの細い腕の丸みに似た懐かしい優しさが確かにそこに在った。
私は死ぬまでこの椅子に座りながらココの思い出に浸り、思う存分泣くこともできるのだ。握りしめると優しくすべすべの腕木が「良い思いつきだね・・」と語りかけてきた。私はやっと永遠の伴侶、癒しの椅子を手に入れたのだ。
描き上げたココの肖像画を眺めながら座っているとふつふつ・・・と気力が戻ってきたようだ。
何もかも人間の側の自己満足に過ぎないのかもしれない。けれど、ココと私はお互いを拠り所にかけがえのない日々を過ごしたことは確かだ。
まことに君は福猫だった。ありがとう、ココ。