パリオリンピックの開会式をネット中継で観ました。
コンシェルジュリーでマリー・アントワネットが自分の首を持って『Ah! ça ira』を歌ったGojiraのパート。
CF美術の仕事をしていた観点からは楽しめました。
だってこういうの仮にやろうとしてもなかなか出来ないじゃないですか。
でも最初こそ面白かったものの、だんだん雲行きが怪しくなり。
最後の晩餐を彷彿とさせるLGBTパートでスマーフみたいな色のディオニュソス?が出てくるに至っては、これヤバくね?と。
先祖代々フランスに住んでいるクリスチャンのフランス人には不愉快なのでは!?と、キリスト教に特段のシンパシーを持っていない自分ですら心配になりました。
かつて2005年に、今は倒産してしまったアパレルブランド、マリテ+フランソワ・ジルボーの最後の晩餐をモチーフにした広告がフランスやイタリア等で糾弾され、禁止判決を受けたことが思い出されます。
今回はそれとは比べものにならない品のない表現。
もっともこれは最後の晩餐ではなく『神々の饗宴』を題材にしているという話もあります。
だとすると誰もが最後の晩餐を想起するような見せ方だったのが問題ですね。
ギリシャ神話の淫らな神々なら仕方ないか〜、ってことで騒ぎが収まるといいのですが。
それにも増して気になったのは「死」の象徴が随所に散りばめられていたことでした。
先に挙げた斬首されたアントワネット。
ゲームキャラの死神のような顔のない人物パートで流れたサン=サーンスの『死の舞踏』。
黙示録を彷彿とさせる、水上を馬で疾走する騎士。
平和の祭典とされるオリンピックに、何故?
様々な解釈が可能ですが、このような大イベントで意図がないとは考えにくいですから敢えてやっているのでしょう。
しかもモニュメントに牛の頭が混じっていたり…。
例えそれが誤解であっても、炎上する燃料を積極的に投下しているというか、挑発的というか。
(牛の頭のモニュメントはトロカデロに常設されているものでした🙏)
セーヌ川での開会式を決めたことで、果敢に、或いは楽天的にリスクを選んだフランス。
結果、雨は降りまくるし、リスクが現実のものになってしまいました。
ただ内容の是非はさておき、フランスに表現の自由があること自体は良いんです。自由は貴重ですから。
誰もが納得するものを目指すと無難だけどつまらないものになりがちですしね。
実際、特に問題にならないシークエンスがほとんどでしたが、そういう部分は不思議と印象に残りません。
では、果たしてフランスには瀆神の自由が本当にあるのでしょうか??
シャルリー・エブドの事件を経て、ずっとそのことが気になっています。
いち小市民としましては、テロが起きずに無事に閉幕できることを、そして交通規制が解除されて平穏な日常が戻ることを切に願うのみであります。
余談ですがアヤ・ナカムラは有名になる前からバンド仲間の息子さんがサウンドエンジニアをしているので応援しています ;)
面白かったです。
やはり実際にフランスに住んでいる人の目線・・・
シャルリー・ヱブドの事件、などは日本では『?』忘れられていますし。
サン・サーンサンスの「死の舞踏」が流れたのさえ気がつきませんでした。
面白く読んでもらえてよかったです。ツイッターでの議論に答えるようなつもりで書きました。
「そういう意図ではなかった」と言いながら実は周到に計画された炎上案件で、決して無邪気な平和の祭典ではなく確信犯的な毒を含んでいたように思います(苦笑)