今年最初のアルバムを出したばかりのフランスのバンド。
今どきのミュージシャンがラップばっかりじゃなくてリッケンバッカー高めに抱えて歌ってたりするとなんかホッとする…。
今年最初のアルバムを出したばかりのフランスのバンド。
今どきのミュージシャンがラップばっかりじゃなくてリッケンバッカー高めに抱えて歌ってたりするとなんかホッとする…。
「今年も作ってね♪」とヨメさんが精霊馬の素材をたくさん買ってきてくれました。
う〜ん、何にしよう…しばし悩みます。
サツマイモが固くて丈夫そうだったので、ブロシェット用の串を使ってイジーライダー風のチョッパーにしてみました。
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今年の精霊馬
日暮れに間にあって迎え火を焚きました
ご先祖さま観光がてらいらしてください#精霊馬 #お盆 pic.twitter.com/IelmupyF6A— ky01da (@KY0) August 12, 2019
この動画を見て思い出したことを書きました。
2歩ずつ先に進める人達に見えていなかった「自分自身の実力とは直接関係ないラッキーさ」のような特権に気づかせるのは意味があることですが、それはある程度の年齢に達してからでいいと思うんですよね。
後ろに留まってる人達は、子供のうちからでも否応なく気づかされているじゃないですか。
ぼくが通った中学は東京のちょっと悪めだけど普通の公立で、みんな家の事情はそれぞれでしたが、まだどうしようもないような差は可視化されていませんでした。このときまでは。
あれは中学3年生のとき、穏やかなお天気の6月の午後だった。
いよいよ明日から修学旅行という高揚感で気もそぞろの下校前、ホームルームでのことだ。
思い出したように唐突に担任が言った。
「市田には修学旅行の積立金3万9千円、返すからな」
身体の不自由なぼくは二泊三日の修学旅行に参加できない。
それは仕方ない、バリアだらけの京都奈良だし。
というか、修学旅行の費用って積み立てで、それを母がしてくれていたことをこのとき知った。
しかしこのあと、担任は死ぬほど余計なことを言った。
「福山も行けないけどな」
福山美智子さん(仮名)はものすごくおとなしくて目立たない女子だ。
あまりにもおとなしくて控えめなので、もしかしたら一度も話をしたことがないクラスメートもいたかもしれない。同じ美術部だったことがあるので、ぼくは少しは話したことがあった。
けれども担任は福山さんには積立金を返すとは言わない。
福山さんはいつにも増してうつむいている。
(あっ…)
一瞬にしてクラスが、このことを追求してはいけない空気になった。
福山さんの家は修学旅行の積み立てができなかったんだ。
そばの席の女子が慰めるように背中に手をあてると、福山さんは耳を真っ赤に染めて静かに泣いた。
(同情を示されると涙を我慢できなくなってしまうんだよね……)
少なくともこのときまで、僕を含めクラスの誰も彼女のそういう家庭の事情を知る由もなかった。担任がそんなことさえ言わなければ、福山さんはあんな思いをしなくて済んだのに。
そのとき真っ先に思い浮かんだのは、ぼくの分の積立金で福山さんを修学旅行に行かせてあげてください、と担任に頼むことだった。
だけどそれっていくらなんでもカッコつけ過ぎなんじゃないか?
同情されてるみたいで、かえって福山さんを傷付けるんじゃないか?
当時はまだ病名を知らなかった中二病という不治の病で自意識過剰だったためか、余計なことばかり考えて合理的な判断ができない。
そして何より、勝手に決めるには金額が、中学生には大き過ぎた。自分のお金じゃなくて母のだし。
結局何も出来ず、福山さんに声もかけられずに下校してしまった。
夜になって仕事から帰ってきた母にこの顛末を話すと、終いまで聞かないうちに母は言った。
「じゃあお金返してもらわなくていいから彼女を行かせてあげてください、って言えばよかったじゃない」
「やっぱり!?」
ああ、なんで即決できなかったんだろう…。自分の決断力の無さを心から恥じるとともに悔しかった。
でも本当は、もし脚が悪くなかったら、福山さんをデートに誘いたかったんだ。
デートというと語弊があるし好きでもない男子とじゃ困らせるだろうけど、ただ修学旅行の留守番中にちょっといつもとは違う場所に行ってみるとか気分を変えて、少しでも楽しい時間が過ごせれば良かったのにって。
でもそれはぼくにとって、代わりに修学旅行に行けるように交渉するよりも更に難易度が高いことだった。
結局修学旅行の期間中、どう過ごしたのか覚えていない。
宿題を出されていたけれど、みんなが楽しんでるときにそんなのやってらんないよ!って提出しなかった気はする。
それ以来、何もしなかったことを後悔するくらいなら、やってみて失敗する方がマシ、ということが判断の指標になった。
そして妻と修学旅行に出掛けたまま、まだ戻らない。
そして、何もできませんでした。
以下は初出のnoteには書かなかった後日談です。
論旨は同じですし冗長になるので本文では省きましたが、実はこの日の晩に、母に頼んで担任に電話をかけてもらいました。
夜遅いくらいで諦められなかったのです。
修学旅行前夜に、職員室にも混乱と残業をもたらしてしまったことでしょう。
暫く時間がかかって担任から折返しがあり、結局は辞退され実現しなかったのですが、彼女のお父さんから謝意を伝えられたことで、急になんだかかえって悪いことをしてしまったような気持ちになりました。
確かにあのとき代わりに行ってもらってもそれはこちらの自己満足に過ぎず、逆に福山さん(仮名)にとっては良くなかったんじゃないかという意見はありました。
後で聞いた話ですが、家庭環境故かお兄さんもお姉さんも完全にグレており、そんな風には全く見えずむしろ縁遠いように思われた彼女自身も結局グレてしまったとか……
そしてこれはnoteに書いたことがきっかけで判ったのですが、二十歳前の若さで亡くなってしまったのだそうです……。
もうひとつ思い出したことがあります。
中学時代、ぼくは掟破りの文化部兼部をしていて、美術部と音楽部両方に入っていました。
2年生のとき、美術部の部長に推薦されたのですが、そこで普段は自己主張を全くしない福山さんが珍しく、
「市田君は兼部をしているので、部長にはT澤さんがいいと思います」と反対意見を述べて、転校してきたT澤さんが部長になりました。
福山さんがあんなにハッキリ意見を言ったのを後にも先にも初めて聞きました。
美術部では男子がぼく独りでしたし、音楽の方が面白くなってだんだん音楽部ばかりに行くようになっていたので無理もありません。
兼部が美術部を蔑ろにするような行為、もっと言えば贅沢だと彼女は思ったのかもしれません。
その後担任にも兼部を注意され、ほどなく美術部は辞めたのでした。
SNSで「教師がひどい」という意見も貰いました。
この先生は単に配慮が欠けていたのか、
さもなければ(君は行けなくて気の毒だが他にも行けない人がいる)と慰め的に伝えたかったのか、
もしかしたらぼくが「申し出」をすることを期待したのかもしれません。
それよりむしろ、この動画のように生徒に考えるきっかけを与えたかったのでしょうか。
今となってはもう知る術もありません。