retrouvailles – Spherical Image – RICOH THETA
YMO増殖人形事件
ええまぁ、またもこんな話なんですが。
中学生の頃のとある日曜日、久しぶりに会う父が作業場へ連れて行ってくれたことがありました。
休日で誰もいない広い空間に、YMOメンバーを模した身長40センチくらいの人形が300体、未着色の狀態で並べられており、
「これ塗んなきゃいけないのが大変なんだよ」と言いながら父はちょっと可笑しそうに笑いました。
YMOの大ファンだった僕は内心。oO(あんまり似てないな…)と思ったものの口には出さず、
「撮影が終わったらひと組もらえる?」とダメ元で訊いてみました。
「スポンサーが抽選でプレゼントにするらしいよ」
「じゃあ、ぼくも応募する」
それから暫くして、完成したフジカセットのポスターを当時よく行っていた秋葉原ラジオ会館で見かけたときは、最初あんまり似てないと思ったもののやっぱりちょっと嬉しかったのを覚えています。野球のグラウンドに300人のYMOメンバーが並んでいるというポスターでした。
そのビジュアルはYMOのアルバム『増殖』にも使われ、以後このフィギュアは増殖人形と呼ばれるように。
抽選の募集はいつ始まるのか待っていたら、プレゼント企画は「いぢめられたらイヤだから…」というYMOメンバーの要望で中止となったそうで、そのおかげでほどなくして我が家にやって来た増殖人形は見かけよりもかなり重く、音楽部屋に鎮座して僕らの下手なバンド練習を見守る守護神となったのでした。
何しろウチに初めて来る友だちはみんな増殖人形に驚き、羨ましがってくれるので密かな自慢でもあったのです。それは人形そのものというよりもプチ父自慢だったのかもしれません。
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あれから1年
市田喜一という父
不意に吹かれた時間切れの笛だった。
父方で唯一僕の連絡先を知っている同い年の従姉妹から報せがあり、癌が再発し自宅療養中の父があまりよくないとのこと。
すぐに帰国の準備をするも、急激な容態の変化に結局間に合わず、11月25日の朝、75歳で父は亡くなった。
母方の祖母と同じ命日だ。
その日のうちに日本へ発った。
来年2月、父はパリでの版画のグループ展が決まっており、そのためパリに来ることを非常に楽しみにしていたそうで、僕達夫婦も心待ちにしていた。
もしかしたら初めて何か親孝行のようなことが出来る機会かもしれないと、漠然と願っていたけれど…。
通夜・告別式ともにたくさんの人が駆けつけてくださり、映像業界や著名なアーティスト、俳優さんたちからの供花で溢れた。
父方の親戚と約二十年ぶりに再会を果たし、父の友人には子供の頃以来になる人もいた。
そして、この中で父のことをいちばんよく知らないのは自分であるように思えた。
僕が父と暮らしたのは生まれてから小学校に入るまでの6年間だけだ。
家族3人で写っている写真はこれしか残っていない。
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ダファー・ヨーゼフ
行きつけのサバンナカフェにこのところ行けてないな〜と思っていたら、オーナーのリシャールから動画のリンクが送られてきました。
おっ、なにこれいいね!
チュニジア人の作曲家・歌手・ウード奏者だそうで、独特な高音の発声法の音域広いなー。
曲もジャズやアンビエントなど幅広くて面白いじゃないですか。
日本文化大好きリシャールは、よく意味もなく浮世絵画像のリンクとか送ってくるんで反応に困るんですが、こういうアラブ文化的なものの方が日本人の僕には物珍しいので好奇心をそそられます。
無言の動画は召集令状か!?
こりゃサバンナ顔出さねばということで、ひきこもりのわりには詰まったスケジュールの合間を縫って行ってきました。
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