「遺伝するから、子どもは持つんじゃないわよ」
母にそう言われたのは、学生の頃から一度や二度ではなかった。
昔、母は生まれつき抱える原因不明の筋肉の疾患(ミオパチーの一種)が子どもに遺伝することを心配し、医師に相談したところ、
「遺伝はしません」
と言われて安心して僕を産んだが、3才くらいでやはり遺伝が発覚。このことが「子どもは持つな」という言葉に繋がっている。
その意図するところはおそらく、
・障害を持った子ども自身が苦労して可哀想だから
・障害を持つ僕が障害を持つ子を育てるキャパシティーがないだろうから
・社会の迷惑になるから
といったところのどれかだろう。全部かもしれない。
「うん、そうだね」と答えるものの、心のなかで(自分は子どもを持つ資格のない劣った存在なんだな…)という寂しい思いはあり、せめて税金は人並みに払えるようになろうと思ったものだった。
確かに障害を抱えて生きることは不便な面もあるけれど、だからといって生まれてこなければよかったと思ったことはないし、むしろ逆だ。
「こんな身体に生んで!」と母は若い頃に祖母を責めたらしいが、僕はそんなことはなかったという点で
「あんた、いい子ね」と、どうリアクションしていいのかわからないことを言う変な母だった。
そんな素っ頓狂な母の言うことなので聞かなくてもよかったのだけど、妻は出会う前から元々子どもを持たない方針だったのでお互い意気投合。
僕たち夫婦は子どもがいないが、ささやかながら幸せな毎日を過ごしている。
しかし相模原障害者施設殺傷事件の一報を聞いたとき、説明し難い混乱と不快感に襲われた。
一瞬、障害を持つ可能性が高いので子どもを持たないという選択が、犯人の「障害者は生きている意味が無い」という考えの側に加担するもののように感じられてしまったからだ。
だがもちろんそれは違う。親なら誰でも子どもに健康であって欲しいし、無用なハンデなら背負わせたくないと思うのは当たり前のことだ。
それよりも、「障害者は生きている意味が無い」「税金の無駄だ」と考える人がいること、少なくともそういう考えを明確に否定できない人が案外多いかもしれないということが気にかかる。
障害者を生かすことは無駄なのか?
そもそも先天性障害はなぜ発生するのか?
推論とともに考察してみる。