CMの美術をやっていた頃、会社の近くの食堂からよく出前をとった。ここのカツ丼はとても美味しいけれど食べ終わると脳が溶けそうなほど眠くなる。きっと隠し味に睡眠薬を使っていたのに違いない。ライバル会社が経営してる食堂だったりして・・・。
4/8/1997
CMの美術をやっていた頃、会社の近くの食堂からよく出前をとった。ここのカツ丼はとても美味しいけれど食べ終わると脳が溶けそうなほど眠くなる。きっと隠し味に睡眠薬を使っていたのに違いない。ライバル会社が経営してる食堂だったりして・・・。
居残ることにしたのは、
「しちゃったことを悔やむよりしなかったことを悔やむ方が嫌だ」
「この先どうなるか判らないほうが楽しい」
という理由が大きいけれど、
「どうせなら長く居ないと飛行機代がもったいない」
という貧乏性的な動機もあった(ちなみに海外は初めてでした)。
メトロの階段をよちよち昇っていたら通りがかりの紳士に
「君は英雄だ」
と励まされた(と、解釈した)せいもちょっとあった気がする。
そういえば僕が春休みの旅先で居残ることを決め、大学を自動的に中退した後でも色彩計画論の授業には全部出席したことになっていたらしい・・・。
みなさん、その節はお世話になりました。
学生の頃といえばジャニオこと小畑正好君(彼はいつでもどこでもバク転のリクエストにこたえてくれるのでそう呼ばれていた。以下ジャニオ)にまだ借りを返せてなかった。
大学一年のとき彼と僕はうっかり人気のない講義を取ってしまい、内容がよくないうえ教授もなぜかやたらと陰険なオーラを放ちまくっており僕はすぐその講義を棄ててしまった。一方ジャニオはちゃんと出席していて、しかも僕の代返までしてくれていたそうなのだ!しかしいかんせん人気がないので人数も少なく、代返がバレたジャニオはそのためにただ一つその講義だけを落としてしまった。それでとても申し訳なく思い、いつか借りを返さなくてはと思っているうち、彼はNHKの「人体」をはじめ様々なプロジェクトに参加してあれよあれよという間にとても出世したのは3Dをやる方ならご存じのとおり。
#ごめんね、ジャニオ・・・。
で、ここからが本題ですが彼は母校のすぐそばに家を建てた。