昨年末に亡くなった祖父の今日は四十九日。
年末の帰国は結局間に合わず、こういうとき遠くに住むと距離が大きく横たわるのを感じる。
僕は両親にはほとんど似ていないけど、この母方の祖父にそっくりだ。顔だけでなく、洋梨とか好きなのも隔世遺伝かも。
けれどもおじいちゃん子だったかというと、そういうわけでもなく。むしろ祖父は世捨て人に近いというか変わっていて、小学校に入る頃から祖父母の家で暮らしてきたけれども子どもの頃の僕にとって謎の人だった。
建築家だった祖父は日本のいわゆる最高学府を出たらしいが、そのことは僕に「ああ、学歴って意味無いんだな」と早いうちに気づかせてくれたかもしれない。僕が物心づいた頃、既に祖父は建築への興味を失いつつあり、趣味の考古天文学の研究にのめり込んで本を書いたりしていた。
「勉強がいちばん安上がりな趣味なんだよ」という祖父の言葉は、当時勉強大嫌いで落ちこぼれていた僕には宇宙語のごとく理解不能だった。
しかも昼頃起きて食事、その後勉強して夕方早めの晩酌後就寝、夜にまた起きて自分で夜食を作って食べ再び朝まで勉強、というヘンテコなライフスタイルを何十年も続けていた。外出嫌いで人に会うのも嫌い。明治男故か家族に対して愛情を表わすことも一切しない人だった。もちろんそれは表わすという発想と技術がないだけ、とだんだん解ったけれども。
そんな祖父も歳とともに少しづつ人柄が丸くなり、ヨメのわびすけを初めて紹介したときには相好を崩し今まで見たことないほど優しく丁寧に挨拶してくれて内心ちょっと感動したのを思い出す。
子どもの頃、祖父には釣りとギターと「鏡は左右ではなく前後が逆になっている」というシンプルな法則を教わった。祖父が孫に教えることとして必要充分。
稼ぐことには全く熱心でなかった祖父、いかに少ないお金で好きなことをして暮らすかというのを見せてくれたようにも思う。そんな生き方もまた善し。
正月は遺影を囲み久しぶりに家族で静かに過ごす。(亡くなったのがあまりに年末だったので年賀欠礼の挨拶状も出せず、年賀状をくださった方々にはたいへん失礼いたしました)
家の中にはまだ祖父が居る気がして、心の中で会話しながら束の間穏やかに時が流れた。
パリに戻っても祖父用のミニお膳を用意しつつ、生きてるうちに「パリ来れば?」って言ってもぜったい来なかっただろうなーと思うと何か可笑しい…お供物も生前食べ慣れないっぽいものになりがちだったし。でももう固いものでも大丈夫なんだよね!?
好きに生きた享年92歳。
ようやくそんな生き方の良さが解った気がするよ。おじいちゃん、今まで長い間ありがとう。
おひさしぶりです!
kyoさんも隔世遺伝タイプなんですか?
私も隔世遺伝系です。
一般常識に欠けてるところとか、
活字とfine arts好きとか
日本酒と塩辛が好きとか(笑)
かなり大変な家庭に育ったワタシの両親が
どうしてあんなに普通の家庭を築くことが
できたのか、子供心に(本当に1年生とかそんな頃)
『フツーっていうのはものすごく大変なんだなあ』
と、納得しました。
たばたさん、コメントどうもありがとうございます!
隔世遺伝仲間ですね (笑)
大変な家庭の話、機会がありましたらぜひ詳しく聞かせてください。
僕的に遺伝って難しいなぁと思うのは、ダメなことばっかり遺伝して良いことはほとんど遺伝しなかったことですねー、たはは。