ええまぁ、またもこんな話なんですが。
中学生の頃のとある日曜日、久しぶりに会う父が作業場へ連れて行ってくれたことがありました。
休日で誰もいない広い空間に、YMOメンバーを模した身長40センチくらいの人形が300体、未着色の狀態で並べられており、
「これ塗んなきゃいけないのが大変なんだよ」と言いながら父はちょっと可笑しそうに笑いました。
YMOの大ファンだった僕は内心。oO(あんまり似てないな…)と思ったものの口には出さず、
「撮影が終わったらひと組もらえる?」とダメ元で訊いてみました。
「スポンサーが抽選でプレゼントにするらしいよ」
「じゃあ、ぼくも応募する」
それから暫くして、完成したフジカセットのポスターを当時よく行っていた秋葉原ラジオ会館で見かけたときは、最初あんまり似てないと思ったもののやっぱりちょっと嬉しかったのを覚えています。野球のグラウンドに300人のYMOメンバーが並んでいるというポスターでした。
そのビジュアルはYMOのアルバム『増殖』にも使われ、以後このフィギュアは増殖人形と呼ばれるように。
抽選の募集はいつ始まるのか待っていたら、プレゼント企画は「いぢめられたらイヤだから…」というYMOメンバーの要望で中止となったそうで、そのおかげでほどなくして我が家にやって来た増殖人形は見かけよりもかなり重く、音楽部屋に鎮座して僕らの下手なバンド練習を見守る守護神となったのでした。
何しろウチに初めて来る友だちはみんな増殖人形に驚き、羨ましがってくれるので密かな自慢でもあったのです。それは人形そのものというよりもプチ父自慢だったのかもしれません。
それから歳月は流れ、あるときテレ東の『なんでも鑑定団』を観ていると、鑑定依頼品になんと、増殖人形が登場したのです。
しかも鑑定結果は三体セットで驚きの150万円!
当時はまだソフトビニール製の復刻版も出ていない頃でした。
だからといって手放すつもりはもちろんありませんでしたが、
「うちにもお宝があったのか〜」
と感慨もひとしお、大切にとっておかなくちゃと改めて思ったのでした。
それから更に月日は流れ、忘れもしない2010年の夏。
長年の思い出が圧縮され詰め込まれた実家が引っ越さなければならなくなり、3ヶ月間で何とか過去と決着をつけるべく憂鬱な気分で日本へと向かう飛行機の中、真っ先に思い浮かんだのは「とりあえず増殖人形を安全確保せねば!」ということでした。
僕が実家を出て以来、増殖人形は祖母の部屋に飾られているはずでした。
帰国初日、さっそく祖母の部屋に行ってみるも見当たりません。
「おばあちゃん、YMOの人形は?」
すると祖母はちょっと気まずそうに笑って、
「あれね……怒らない?」
この時点でズキッ!とかな〜りイヤな予感が走ります。
祖母の話によると、中古着物の引取業者が来た際、あまり目ぼしい着物がないと見るや部屋を物色し、件の人形を見つけて
「これ買いますよ。二千円で」
「これは孫に訊かないと……」
「こんなのもう価値無いですよ?」
と口八丁で言いくるめられてしまったらしいのです。
おそらく(わざわざ業者さんに来てもらったのにあまり気に入ったものが無いみたいで申し訳ない)的な老人心理につけこまれたのでしょう。
値段を聞いて妻は、
「なんで三人なのに二千円なの?そこはせめて三千円じゃないの?」
と訝っていましたが、そういう問題じゃないからっ!
半端な目利きで復刻版と間違えたのかもしれませんが、それでなくとも手放したくないのに二千円という脱力するしかない金額でトドメを刺されました。
けれども既に日にちが経ってしまって業者もわからず、何より引越問題でストレスマックスの母がもしこのことを知ったら逆鱗に触れてアースも吹っ飛ぶカミナリが落ち、祖母が感電死しかねない危険があります。
努めて平静を装うも正直クラクラして倒れそうでしたが、僕は祖母に育てられた三文安いおばあちゃん子なので怒る気にもなれず、泣き寝入り案件となったのでした。
ちなみにザ・オバーチャン子の僕が祖母に唯一怒ったのは中学の頃、友だちとテレビで『キャリー』を見ていたら祖母が最後のオチをさらっとバラしたときくらいです。
なんで今さらこんな話かというと、こちらのシンディ・ローパーファンサイトさんのページで増殖人形についても調べてくださっていて懐かしかったのです。
そして、ブログにでも書いて笑ってもらうくらいしか成仏しようがないトホホなネタだから。
せめて誰か、いぢめない人の手に渡っていることを祈るばかりです。
お久しぶりです。
もうメールやSNSは封印し長らく隠棲していましたが、
このYMOの画像には激しく反応せざるを得ません。
存在さえしらなかったグループのレコードジャケットを見たのは
1981年、米国でのことです。
当時、若いアメリカ人にかなり人気らしく、以来 なん度も聞かされました。
先端をいく音楽の素晴らしさも然りながら、私には増殖人形の出来ばえの良さに
目を奪われてしまったのでした。一人ひとりの顔や体を見比べ、合成写真かと思いきや
何となく各々個性があるような、、、不思議に思ったものです。
それが今、謎が解けたのです! しかもKyoさんのお父上の仕上げた「作品」だった!
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Patraさんともメール連絡はしていませんが、昨年帰国したおり、
空港からのバスの中から見えた高い窓に向かってテレパシーを送りました。
きっと、届いて何か感じてくださったとおもいます。
異国で暮らすお二人にも声援をおくります。
わータローママさん、お久しぶりです!
お優しいお言葉どうもありがとうございます!
米国で日本のグループを知るって凄いことですよね。
妻も小学生の頃ホームステイに来ていたアメリカ人が持ってきた増殖のカセットでYMOを初めて知ったそうです。
[…] YMO増殖人形事件 […]
あ・・・更新、久しぶり・・・ギャラリーを楽しみに時々覗き、今日は、ふと、その帰りに寄ってみました。そうですか、これはチチさんのお作でしたか・・・私も合成写真かと思っていました。私たちの年代には、誠に懐かしいです。話しが上手だなぁ・・・おばぁちゃまの困った顔が浮かぶようです。ことしはParisも暑いようですね。数十年ぶりのTokyoの夏は・・・地獄です。びっくり。
あ、青目さんお久しぶりです、コメントどうもありがとうございます!
プロに捨て身のネタをお褒めいただき光栄です。
今年はフランスも猛暑でしたが日本ほどではないですし、今は過ごしやすいですよ。日本の夏は数十年ぶりですか、それはこたえますよねぇ…。体調に気をつけてくださいね。
オトウトが逝ってから、初めてコメントを見ました。 ”海忘れ” さん、誰かと思ったら、こちらでした・・・はは・・・ウミワスレ・・・ありがとうございます。
English please!
Well, long story short. It was my father who made these dolls, and gave me a trio after shooting. I was so happy and so proud because I was a big fan of YMO.
25 years later a set of these three dolls was priced at 1,500,000 yen on a TV show!
But after all, my grandma was cheated to sell it for only 2,000 yen…
キャリーの時は、あ、これ地面から手が出てくるヤツだ!って映画の最高の場面でネタバレのホラーなコメントでしたな。増殖人形は、違う人にメガネ移動してたりしましたな。亀スマソ。
そうそう!僕は既に見てたんだけど初見の人に申し訳ない(苦笑)
思いっきり初見っすわwでもね、大して気にならないんだ。何時もあれこれ予想妄想しながら映画見てるから。ネタバレされても、あぁ、そう来るのか、程度。それにしても、あのタイミング、プロの間合い、お祖母様イイ味だしてんなー。前々から狙ってたんじゃないか。
天然ですww当時はもしかすると「ネタバレ」というボキャブラリーがまだなかったかも。
天然最強wあのタイミングは無いよなー。動く標的の一瞬の隙を突いたゴルゴの一撃、みたいな。当時は、ネタばらし、だったかなー。
我看不懂
都是日文看不懂,啦QQ
Me, I don’t understand Chinese.
How about English?
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