歳を重ねても色褪せるどころか益々意欲的な新譜の内容にシビれ、ヘビロテしていた矢先の訃報はショックだった。
けれどもデヴィッド・ボウイの遺した膨大な作品と映像に没入していると、悲しみというよりもだんだん懐かしさやパワーのようなものが湧いてきて、むしろあまりに見事な最期に畏敬の念を感じる。
今は強いインスピレーションを与えてくれたことに感謝でいっぱいだ。
1980年、ボウイは暫く日本に滞在していたようだ。
この頃、父は彼のために何かの仕事をして、制作したボウイの頭像を後日、サインと一緒にくれたのだった。前の年に父からボウイのLPを貰っていて大好きだったのでビックリしたのを覚えている。
ライフマスクの可能性が高いけれどそれにしては眼が開いているし。今となってはこれがどういう経緯で何のためのものだったのか知る術がもうない。
サインは父が描いた絵コンテに「for いちだ with thanks Bowie 80.」と読める。というかBowieは読みにくかったけど、わざわざ日本語でいちだと書いてくれているところに親日家で優しいボウイの人柄を感じる。
この年の終わりにはジョン・レノンが亡くなっているけれど、中学生だった僕は登校中に友だちからそのことを知らされ、発狂した。今でもクラス会でネタにされるほど号泣してしまったのだった。
今はおとなになったのでもう発狂しないし、カムバックの矢先に凶弾に倒れるのと、自分の死を悟った上でなお先進的なアルバムを制作し、69歳の誕生日に発売した二日後に亡くなるのとでは意味合いが大きく異なる。いずれにせよジョンとボウイのフェイムは永遠だ。死の間際まで傑作を創り続けられるアーティストは数少ない。
自ら引退を選ぶアーティストもいる中で、ボウイはカッコ良すぎた。なるほど、カッコいいとはこういうことなんだな。
遺作となった『★』に収録されたアップテンポなバージョンもいいけれど、マリア・シュナイダーのビッグバンドを起用した『Nothing Has Changed』Radio edit版で。GOODBYE David, Arigatou…
追記:
母が高橋ヤッコさんから伺った話によると、1980年にボウイが鋤田正義さんに
「僕そっくりな人形を作ったらもっと撮影が楽だよ」と言ったそうで、それでこの人形が作られたようです。
型どりではなく、正面向きと斜めの顔写真2枚だけを元に作ったためあまり似てない、と母の弁。
これきれいなビデオねぇ・・・見惚れてしまいました。
’80年は、多分「戦場のメリー・クリスマス」で日本にいたのではないかしら・・・’83年公開、ですから。
狂気を孕んだ彼も好きだけれど、いろんなものが削ぎ落とされて、なにやら普通のおじさん ? になった時代のボーイも好きです。私も今日、普通のきれいな50代後半の彼をUPしました。
日本は、やっと・・・冬らしい寒さが来ました。
おじさんになってからのボウイ、かっこいいですよね。
戦メリはもう少し後の話で80年は宝酒造「純」の撮影があったようです。デヴィッド・ボウイの初めてのCM出演だったとか。
ていうか青目さん、大島渚監督の事務所もお手伝いしてたんですか!
↓この記事によるとこの80年の広告は大島監督がボウイにオファーするきっかけになったみたいですね。
http://entertainmentstation.jp/18283/
いやぁ、宝焼酎の細見氏のインタビューは面白かった。ボーイのことはよく知らないけれど、やってみよう・・・そういう時代だったのね。ポスターが盗まれて初めて大物だと知った・・・というあたりも、呑気な時代だった。大島さんもボーイのこと知らなかったのではないかしら。ロバート・レッドフォードとニコラス・ケイジが候補でしたが断られて困っていて、多分、そのときに宝焼酎の広告を見たのかもしれません。候補の二人より、いい・・・と、思ったでしようね。細見氏も大島さんも綱渡りの中で成功したのね。
寺山さんのところにいた時、お金が出ないので、大島事務所で働いていました。こんなことが原因で、桟敷を追い出された・・・ということですかね。いまになって分かることっていろいろあります。
時代ですよねぇ。
ジャック・セリアズ役はロバート・レッドフォードやニコラス・ケイジじゃそもそもアメリカ人だし全く別モノになったでしょうから、ボウイが出てくれてラッキーでしたね。ミュージシャンがたくさんキャスティングされてましたし最初からそういうテイストを狙っていたのかと思ってました。