27/9/2017

アマチュアドラマーから見た世田谷JAZZビンタ騒動

この件に関して当初から思うところありましたが、書くと厳しい言葉になってしまうので書かないようにしていました。
早くこの騒動が収束しないことには、当の中学生もいつまでも辛いでしょうし。
ほぼ1ヶ月が経ってもう沈静化したと思っていたのですが、まだ記事が出てきました。

世田谷JAZZビンタ事件が象徴する日本的なもの

この騒動を巡る一連の議論にはどうしても違和感を覚えます。
どの意見にも、ある重要な視点が欠落しているように感じられるからです。
大学時代にジャズ研で下手なドラムを叩いていた経験を踏まえ考察したいと思います。

実際はどんな様子だったのか?

こちらは当日コンサートをご覧になった方のツイート抜粋です。

ドラムというパートの特殊性

ドラムというのは、アグレッシヴさと冷静さ両方がせめぎ合うパートであるとともに、他より大きい音量を出せる楽器であるが故に、映画『セッション』のような、強引な展開に持ち込みやすいやや特殊な役割でもあります。
そして他のパート同様、いやそれ以上に協調性が必要なパートです。

ドラムソロは決められた小節数から逸脱した場合、演奏を長く続けることよりも、巧く収束させ全員を復帰させることの方が遥かに難しいのです。
中学生特有のやんちゃさと全能感で独壇場に躍り出たはいいけれど、落とし所が見つからないまま、ソロは延々と繰り広げられました。
これがセッション練習ならともかく、コンサート本番で観客が居り、他の生徒たちも晴れ舞台の出番を待っている状況とあっては事態は深刻です。

欠けている視点

当の中学生は何故そんな予定にないことをしたのでしょうか?
それは「やりたかったから」としか言い様がないでしょう。
最中は楽しかっただろうし、気持ちよかったことと思います。
観客にとっては中学生の自慰行為を見せつけられたようなものですが、それは観客や仲間の同意を得ずに、他者の意向を一切無視して自分自身の快楽だけを追求する行為であり、その点で強姦に似ています。(同義ではなく、例え話です)
そんな大袈裟な!とお叱りを受けそうですが、この状況は演奏の形であっても進行形の暴力行為に匹敵していたということです。

スティックを奪っても行為をやめないとなると、そのような緊急事態にいったいどうしたらいいでしょうか?
もちろん暴力がよくないのは言うまでもありませんが、アドレナリンの出た荒ぶる中学生に対し74歳の日野さんが手をあげたことを必要以上に責める気にもなれません。

いずれにせよ、この少年と日野さんとのセッションは既に決着が付いていることでしょう。
日野皓正 中学生へのビンタは教育…「必要な時もある」

音楽を通じて育てるということ

リオ五輪閉会式での君が代の大胆なアレンジでも知られる、有名な作曲家の三宅純さんが高校生の頃日野皓正さんに会いに行ったときのエピソードは感動的です。是非ご一読ください。

音楽家 三宅 純の時間旅行

日野さんはこのように数多くのミュージシャンの卵に実際にチャンスを与え、サポートしてきました。
ですがそれは他者が思うほど簡単なことではありません。
今回の騒動でせっかくの素晴らしい取り組みに水がさされないことを切に願います。


チャリティーコンサートに出ていただいたご縁で筆者も日野皓正さんと少しだけ面識がありますがハートのあったかさを感じる人物でした。

中学生ドラムスコくんへ

もしも万一この辺境のブログを君が見つけてしまったら、ここでは厳しい例え話をしましたが、どうかもう落ち込まないでください。
そんなにもドラムソロを続けられるハートの強さは将来有望!
もし君がこの先プロになれたら、この騒動も伝説的な笑い話になることでしょう。
ただ、ドラムというのは他者を活かすことで真価が発揮される楽器であり、フィルインは仲間が演奏し易くするためにやる、という視点も持てるようになるといいです。その方が楽しいし気持ちいいから!