1/12/2018

ボヘミアン・ラプソディの思い出

子供の頃、交通事故に遭って集中治療室に入っていたときのこと。

両脚はあちこち骨折、右腕は皮一枚でかろうじて繋がっている状態で、
無事だった左手にも点滴や血圧計が繋がっていて両手が使えず本も読めないので、
イヤホンを片耳に入れてもらってラジオを聴くことで絶え間ない痛みから気を紛らわすしかなかった。

ちょうどそのときヒットチャートの1位だったのがクイーンの『ボヘミアン・ラプソディ』。
イントロのアカペラのハーモニーから印象的なピアノ、当時はまだ名前も知らなかったあのフレディの歌声に魅了され、
ああ、なんて美しい良い曲なんだろう……とうっとり。
まるで苦しみの中で遠くにわずかに灯る希望の光のようで、
毎日この曲が流れてくるのが楽しみだった。

でもAMラジオ番組だったからか、フルコーラスで流れることは一度も無くて。
ギターソロに行くか行かないかのうちにフェードアウトされてしまい、数日後にはイントロが省かれ、曲紹介が日に日に短くなっていき…
ついにはスウィートの『アクション』に1位の座を奪われてかからなくなってしまった。
なので、大好きなのに一度も全部を聴いたことのないままになってしまったのだった。

その約2年後に退院して、あれは小6だったか中1の頃だったか、初めて通しで聴く機会がやってきた。

うわ〜〜懐かしい〜〜〜!と浸っていたら、ギターソロの後、遂に未体験ゾーンへ。

な、、、なんじゃこりゃあっ!

美しいロックバラードだと思っていたら、こんなアタマのおかしい続きがあったなんて!!
今聴くと「これしか有り得ない!」というくらい当たり前に感じられる流れなんだけど、初体験はショックを受けるとともにびっくりしてテンションが上った。

これは凄い!凄すぎる!

何が凄いって、こんな調和のとれた曲にそんなムチャしようと思うのが普通じゃないし、しかもちゃんと戻ってくる!

この唐突とも言えるオペレッタ風のパートがなかったら、世の中に数多ある美しいバラードのうちの1曲に過ぎなかったかもしれない。
おかげで奇抜な展開、無難にまとめないこと、常識に囚われない奇妙な組み合わせの面白さを価値観に刷り込まれた気が。

それにしても、今はどんな曲も自由に聴けるようになったけど、あの頃ほど純粋に音楽を求め癒やしを渇望したことはなかったんじゃないかな、と当時を振り返って思う。
そしてこの曲にはそういう効果が確かにあった。ものすごく。

 

  

Comments (0) ロック エッセイ Tags: — Kyo ICHIDA @ 2018/12/01 16:27