(この話の続きです)
スポットライトが眩しい、そして凄く暑い。
高一の秋、初めてのライブハウスのステージにぼくたちは立っていた。
緊張で口の中がカラカラに乾く。
中学では始業式と終業式の度に全校生徒の前で演奏してたから人前で音楽をやるのは初めてじゃないのに。
いちばん緊張したのはいつだったっけ?
クラス対抗でリコーダー演奏の指揮をしたとき?
でもあのときは客席に背を向けていたし、緊張で真っ赤になっているクラスメートたちの顔を見てたらなんだか可笑しくなってしまった。
目の前に居たK沢さんから後で「笑ってくれたおかげでちょっと緊張が和らいだ」って言われたっけ。
それとも文化祭でクラシックをアレンジしてドラムを叩いたとき?
あのときも緊張したけれど最初のフィルインでスティック同士がぶつかってしまってハッと我に返り、その後は楽しめたんだった。
でももう中学時代の行事なんかとは全然勝手が違う。
何が違うって、狭いのに音がデカい!
今はモニターやPAスピーカーから出る轟音がグルグル回ってしまってみんなの演奏がよく聴き取れない。
(困った…)
自分や周りの出している音がよく聞こえない状態で演奏するのってこんなにやりにくいんだ!?
昔、ビートルズは歓声が凄まじすぎて自分たちの音がろくに聞こえなかったそうだけど、それでもちゃんと弾けてハモれるし流石だなー。いかに数多くのライブ経験を積んできたか、ということなんだろう。
そんなわけで酷い出だしだったんじゃないかな。
でも緊張していたのはぼくだけだったのかも。
ギターの遠山あらためアンガスは、派手派手なアクションでAC/DCを2曲弾いて一気に自分の世界に持っていった。
アンガスはちゃんと弾くということよりも、常にパフォーマンス重視だ。
そういう目立つフロントマンの存在はとても有り難い。棒立ちで演奏されても観ている人には面白くないだろうし。
ぼく自身も2曲目の途中くらいからだんだん耳が慣れてきて、爆音が聴き取れるようになってきた。
最初が難しい曲じゃなくて良かった…。
続くセットリストはRush、TOTO、渡辺香津美、矢野顕子……はっきり言ってめちゃくちゃだ。選曲が。
みんなの好きな曲を寄せ集めたら謎のごった煮になったという、高校生あるあるだ。
Rushの『YYZ』なんて明らかに無謀な背伸びだった。
「こんなの出来るわけないけど」と言いながらアンガスが聴かせてくれた曲に、
「面白い曲だね!演ろうよ!」と飛びついたのは、最難関のドラムをコピーしなきゃならないぼくだった。
身の程知らずとしか言い様がないんだけど、それが高校生っていう生き物なんだろう。
Rushはドラムとベースが極端に難しく、ギターは簡単だ。耳コピが苦手なアンガスのために音を探した。
ニール・パートのフィルインは難しすぎて全然うまく真似できなかったけど、それまでシングルストロークしかしていなかったぼくにとって新しい世界への扉だった。ときに難しいものに挑戦するといろいろ発見がある。
そしてハプニングは初ライブの最後に起きた。
残り持ち時間がもう無いと言われたベースのふれでぃが突然最後の曲を変えて、YMOのライディーンをキーボードで弾き出したのだ。
(えっ!?)
たぶん予定していた曲より短いから、なんだろう。
ときどき理解不能な思考回路を発動するマルチプレイヤーのふれでぃはベースはもちろん、ピアノ、キーボード、トロンボーン、ドラムなど一通り演奏できる。
ライディーンのキーボードはそんなふれでぃの十八番だし、始まったからには演るしかないけど、よく考えたらこの曲にはギターの出番がない!
アンガスは手持ち無沙汰のままステージを終えることになってしまい、観に来てくれた彼の高校の同級生たちから
「遠山聴かせろ〜!」と野次を飛ばされたのは無理もなかった。
そしてステージから降りるやいなや、こんどは見知らぬお姐さんに
「リーダーの子、来て!」
と何故かぼくが呼ばれ、
「演奏は良かったけど、次のバンドも聽いていってくださいってMC言わなきゃダメでしょ!君たちが終わったらお客さん減っちゃったでしょう」
と叱られた。
(すみません…)
そうかライブハウスではそういうマナーが必要なのか。
全てが初めてのことだらけで、対バンへの配慮とかまったく思い付きもしなかった。
ぼくたちは高校がバラバラだったために、もの珍しさで来てくれた友人たちが相対的に多かったので、トリのバンドには申し訳ないことをしてしまった。
もっとも、MCをしていたのはアンガスとキーボードのイワシなんだけど…、まぁそれはさておき勉強になった。
かくして、初めてのライブは混沌と反省のうちに幕を閉じた。
帰りの夜の新宿駅も酔っ払いだらけでカオスだったっけ。
(これからはこうして学校の外でいろんなことを学んでいくんだな、きっと。)
それにしてもあのお姐さんは対バンのマネージャーさんだったのか、それともライブハウスの人だったのか、今でもわからない。
初めまして。 タイムラグありありの書き込み、ごめんくださいまし。
私事ですが、遠山勝省氏の思い出を辿っていたところ、Kyoさんの部屋がヒットし、心がザワザワしてしまったので、矢も盾もたまらず・・・・・
遠山氏とは、彼が19歳から21歳頃までバンドを結成しておりました。
その後の私の人生を色々な角度から、大きく変えた彼でしたので、未だに受け入れ切れず時折ボーゼンとしてしまう事もあったり・・・。
近しくしていたつもりなのに、聞けていなかった事がこちらに書かれていて、wow! となりました。
大好きな人なので、もっと知らないエピソードとか、Kyoさんとのバンドでのエピソードとか聞けたら幸いです。
季節の変わり目、どうぞご自愛下さい。 置田恭子
置田恭子さん、はじめまして!コメント頂き非常に嬉しいです!
何故かというと、あなたのように彼を知る人からご連絡頂けたのは初めてなんです。しかも一緒にバンドをされていた方からとは!
彼が19から21歳頃まで、ということは、池裕二郎くんと一緒のバンドでしょうか?
最後に観た彼の元気な姿は、対バンで来てもらった遠山と池くんとのデュオでした…。凄く良かったです。1985年の夏頃だったのではないかと思います。
ネットで検索しても遠山のことが何も出てこなくて、それはある意味仕方ないことですが、彼の生きた痕跡を少しでも残したかったからこれを書きました。
けれども思い出を反芻すると、書くのがとても辛いんです…。それで続きが書けずにいました。我ながら友達甲斐のない奴だと情けなくなります。
差し支えない範囲で恭子さんの遠山との思い出を共有していただけたら、とても嬉しいです。
早速のお返事、ありがとうございます!!
何故だか読みながら、号泣しているおかしな自分がおります・・・
とてもとても大切な時間だったので、密やかに、そして濃厚にお話ししたいです。
直接メールなどでお話ししたいとは思うのですが、私のPCアドレスがアタックを受けていて、(メールの送信だけが出来なくなったので 数日中にアップルのカウンターに行かなければと思っていた矢先で
。対処し切れておらず、尚且つ、アナログ人間なので(というより、自分が何をしているか知られたくない故)SNSも上手く使えず、極め付けにスマホも持たず・・・
今、Kyo氏とお話しさせていただけるのは、この場だけなのでしょうか?
自意識過剰とは思いますが、この件に関しまして、他の方にみ
途中で送信してしまいました・・・・・・・・・・ごめんなさい。
もとい、kyo氏と直接やりとり出来て、なおかつ、世間から見られないようにするには、どういった手段を取れば良いのか、教えてくださると助かります!よろしくお願い致します!!!
早速のご返信をありがとうございます!
メールが送信できないということですので、それではSNSのメッセージでやり取りさせていたくのは如何でしょうか?
FacebookかTwitterはやってらっしゃいますか?
SNSではご都合悪いようでしたら、GoogleのGmailを取得するなどして、そのメールアドレスをこのコメントのMailという部分に書いていただけば、ぼくにしか見えませんので、メールを送らせていただきます。
こんな辺境のブログを見つけてくださり感謝します。
こちらこそ宜しくお願いいたします!!!
こんにちは。
面倒なこと言いまして、申し訳ありませんでした。
色々ご提案くださりありがとうございます。
実はTwitterでkyoさんをfollowしました・・・・が、
未だシステムが全くわかっていないので、直接のやり取りの仕方、教えてくださいますか?
いえいえこちらこそわざわざすみません!
今試しにTwitterからメッセージを送ってみました。
Twitterのメインメニューにある「メッセージ」から読み書きできます。
もし人違いでしたら、下の画像を参考に、メールアイコンをクリックして何かひと言送ってみていただけますか?
https://www.kyo.com/media/2022/09/tw-message.jpg