美術デザイナー舛岡秀樹さんに初めて会ったのはぼくが小学生の頃だった。
父が働く会社サンク・アールの若いお兄さんという感じで、たまにしか会わないのに子供の直感のようなものでハートのあったかそうなひとロックオンしていた。
父の弟子だったそうだけれど、当時はそういう師弟関係とかは全くわかってなくて、ただ職場に遊びに行くと皆いつも何か面白そうなことをやってるなー、と思って眺めていた。
その後舛岡さんは独立してデザイン事務所、ウエストコートを設立。
雑誌『コマーシャル・フォト』に載った舛岡さんの特集は作例が凄くカッコよかった。
当時はコマフォトで美術デザイナーが特集されること自体、稀だった気がする。
ぼくの方は父と同じムサビに入り、たまたま旅行で訪れたパリに残ってしまいムサビ中退。
結果的に父と似たようなルートを辿っていたのは、父の仕事や父自身に興味があったから、というのもあったと思う。
けれども2年のパリ留学を経て、さぁもう帰国して修行し始めようと考えたとき、真っ先に浮かんだのは舛岡さんのウエストコートだった。
サンクという選択肢は全くなかった。
その頃は父がサンク・アールの社長になっており、父の会社では修行にならないと思ったからだ。
サンクの創業メンバー5人の息子たち(幼馴染)のうち、知る限りでは2人くらいサンクに入ったようだけれど、良く云えばアットホームな雰囲気にぼくはどこか馴染めなかった。
修行するなら厳しい環境に身を置かねば、という若さゆえのストイックな思い込みが、パリで2年間自由気ままに過ごした反動としてあったのかもしれない。
帰国便の中で舛岡さんに手紙を書き、押しかけ弟子となった。
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