30/12/2015

南仏への旅

なにしろ引きこもりなので、旅に向いてるタイプじゃあないんです。
正直なところ、家でのんびりしているのが好きな出不精者。テロが起きても気づかないくらい。

一方、ヨメのわびすけは旅行が好きらしい。見知らぬ場所を訪れて、自分にとっては非日常だけど、そこに暮らす人々にとっては日常な暮らしの営みを眺め思いを巡らせるのが好きなのだそうだ。それが何よりの気分転換になるとのこと。

確かにたまには遠くに出掛けて気分を変えるのは良さそうだし、歳とって身体が衰えて旅行しにくくなる前に思い出を増やしておけば、老後のお茶が美味しく飲めるかも。
ちょうど南にはふた組のお友達夫婦が居て、ひと組はもうじきフランス生活を終えて帰国してしまう。
こうしてニースとモナコへ遊びに行くことになったのだった。

けれども十年も前の旅の話なんてそれでなくとも誰も興味ないしニーズもないだろう。
当時仲間うちで旅ブログがちょっと流行っていたこともありすぐに書くつもりだったけれど、旅から戻った直後に親友に不幸な出来事があり、書くタイミングを逃してしまっていた。既にわびすけが絵日記を書いてくれていたし。
なのでこれは自分のための記録だ。なぜ今頃になって昔の旅日記を書くのかは文末に述べたい。

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6/8/2015

旅犬さんと

  

Comments (0) 写真 Tags: , — Kyo ICHIDA @ 2015/08/06 23:06
18/7/2015

YMO増殖人形事件

「Yellow Magic Orchestra 増殖」に使われた 増殖人形

ええまぁ、またもこんな話なんですが。
中学生の頃のとある日曜日、久しぶりに会う父が作業場へ連れて行ってくれたことがありました。
休日で誰もいない広い空間に、YMOメンバーを模した身長40センチくらいの人形が300体、未着色の狀態で並べられており、
「これ塗んなきゃいけないのが大変なんだよ」と言いながら父はちょっと可笑しそうに笑いました。
YMOの大ファンだった僕は内心。oO(あんまり似てないな…)と思ったものの口には出さず、
「撮影が終わったらひと組もらえる?」とダメ元で訊いてみました。
「スポンサーが抽選でプレゼントにするらしいよ」
「じゃあ、ぼくも応募する」

それから暫くして、完成したフジカセットのポスターを当時よく行っていた秋葉原ラジオ会館で見かけたときは、最初あんまり似てないと思ったもののやっぱりちょっと嬉しかったのを覚えています。野球のグラウンドに300人のYMOメンバーが並んでいるというポスターでした。
そのビジュアルはYMOのアルバム『増殖』にも使われ、以後このフィギュアは増殖人形と呼ばれるように。

抽選の募集はいつ始まるのか待っていたら、プレゼント企画は「いぢめられたらイヤだから…」というYMOメンバーの要望で中止となったそうで、そのおかげでほどなくして我が家にやって来た増殖人形は見かけよりもかなり重く、音楽部屋に鎮座して僕らの下手なバンド練習を見守る守護神となったのでした。
何しろウチに初めて来る友だちはみんな増殖人形に驚き、羨ましがってくれるので密かな自慢でもあったのです。それは人形そのものというよりもプチ父自慢だったのかもしれません。
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Comments (16) エッセイ Tags: , , , , , , — Kyo ICHIDA @ 2015/07/18 01:22
25/11/2014

あれから1年

今日は父の一周忌。
1年があっという間でした。

今年の夏、父の新盆の時に見せてもらった、シンディ・ローパーさんとの写真。

my father with Cyndi Lauper

とっても嬉しそう。

my father with Cyndi Lauper

。oO(あれ?シャンパン飲んでる!)
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29/12/2013

市田喜一という父

不意に吹かれた時間切れの笛だった。
父方で唯一僕の連絡先を知っている同い年の従姉妹から報せがあり、癌が再発し自宅療養中の父があまりよくないとのこと。
すぐに帰国の準備をするも、急激な容態の変化に結局間に合わず、11月25日の朝、75歳で父は亡くなった。
母方の祖母と同じ命日だ。
その日のうちに日本へ発った。

来年2月、父はパリでの版画のグループ展が決まっており、そのためパリに来ることを非常に楽しみにしていたそうで、僕達夫婦も心待ちにしていた。
もしかしたら初めて何か親孝行のようなことが出来る機会かもしれないと、漠然と願っていたけれど…。

通夜・告別式ともにたくさんの人が駆けつけてくださり、映像業界や著名なアーティスト、俳優さんたちからの供花で溢れた。
父方の親戚と約二十年ぶりに再会を果たし、父の友人には子供の頃以来になる人もいた。
そして、この中で父のことをいちばんよく知らないのは自分であるように思えた。


僕が父と暮らしたのは生まれてから小学校に入るまでの6年間だけだ。
家族3人で写っている写真はこれしか残っていない。
family portrait
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