年末にODEONの裏手のレストランで『えい』を食べたらおもいっきりあたってしまった。いやぁ〜まいった。
後で同僚に聞いたら彼も昔えいを食べてひどいめにあい以来見るのも嫌だそうだ。なんでも結構リスクの高い食材らしい。でもその割には河豚なんかと違ってマズいんだこれが。リスクを冒す価値ないよー。
ではなぜそんなもんがメニューにしっかり載っているのか。それは常に『初めて食べる人』がいるからに違いない。ご注意を。
ビデオチャット
東京のケイくんとビデオチャットをやってみた。仏国籍の彼は20歳の頃日本にやってきて早6年、今激しい望郷の念にとりつかれているらしい。
で、このビデオチャットなんだけど思ったより使える。 5年くらい前に、当時発表されたばかりのQuickTime Conference (死語の技術) を使って『涙の8500物語』の長谷さんと試してみたときは回線速度のせいか使い物にならなかったのに。
ほぼリアルタイムに東京とパリを繋ぐ映像は相手の存在を身近に感じさせてくれるし、モニタに映る微妙にずれたお互いの視線は何か滑稽で可笑しい。世界が狭くなるってスピードが速くなるということか。
マヌケなフランス語
メモリ→メモワール (なんかロマンチック),キャプテン→キャピテン (弱そう) に引き続きマヌケなフランス語を発見。
パジャマがフランス語ではピジャマだと知ったとき笑い転げたけど、フランス人にだけはこの可笑しさは通じない。
エテルネットと言われてイーサーネットのことだと解るまでしばしフリーズ。外来語も自国の読みに変えてしまうフランス人恐るべし。DVDはデヴェデーだし、ってそれはしょうがないか。
ここでは ICHIDA は例外なく「イシダ」と発音されるため、面倒だから自ら「石田です」とか名乗ってしまう今日この頃。処変われば名字も変わるのか。
移籍
ここ数年、幸いにも良いクライアントに恵まれフリーランスの生活が気に入っていたものの、このままでいいのだろうか?もっと挑戦するべきでは?とか自分の果たすべき役割って何だろう?という疑問が常に頭の片隅にあった。
それは、やりたいことの何分の一もできずにいる自分への叱咤でもあり、かつて活躍してきた優秀なデザイナーやエディター達が歳をとって仕事がなくなっていくのを見てきたせいもあるかもしれない。恐らくほとんどのフリーランサーにとって宿命のようなもので、たぶん自分も避けられないのだろう。母もスタイリストとして多忙だった頃はいつか仕事がなくなるとは考えもしなかったらしい。忙し過ぎてそんな余裕もなかったのだろうと思う。
地道にコツコツやっても歳とって仕事が来なくなるならそれまでは好きにやるか!(なんじゃそりゃ?)
それとも仕事がなくて暇になったらやりたかったことの残りいくつかができるようになるのだろうか? いやいやそんな悠長なことを言ってちゃ始まらない。
結局、今現在自分を最も必要としてくれる場所へ来ることにした。テーマはニューチャレンジ,ニュー恩返し,笑顔で挨拶。
祖国ほど容易ではなく、アメリカほどアグレッシヴでもなく、仕事が忙しくても生活を大切にするフランスは程よい選択だったと思う。慣れ親しんだ場所でもあるし。
ビジネスでの人助けはなかなかたいへんなのでとりあえず手近なところから。この寒空に眉毛がハの字になったおじさんが「J’ai faim (私はひもじい) 」とか書かれた紙を持ってたりすると小銭を探さずにはいられない。もっと寒くなったら彼等はどうするのだろうか・・・?
そして10年、20年後に自分は何をしているんだろう。ちゃんと食べれているだろうか? 何かを成し遂げたと思えるだろうか? もっと歳をとっても現役で仕事をしていられるだろうか?
そんな疑問は措いといて、とにかく今できることに集中しようと思う。先のことは判らない方が面白いし。