涙の8500物語
コンピュータの耐用年数は経理上6年とされているけど、少なくともグラフィックの仕事に6年前のコンピュータは使えない。ましてや3DCGとなると1年前のマシンですら遅く感じるもの。
この夏、95年の始めから4年半もの長きに渡って使ってきたメインマシンが燃え尽きた。8100を秋葉原で8500に改造し、更にG3にした他いろいろ改造したものだがB&W;のG3に比べて格段に安定していた。ビデオ回路の良さと安定性で8500はベストなマックだったと思う。
というわけで8500追悼企画。3年前に掲載していた『涙の8500物語』再アップ。これはマック仲間の長谷さんから貰ったメールの全文なんだけど、というのも以前この文章をWebに載せていたことが長谷さんに思いがけない出会いを齎していたらしいのだ。
書かれているのは95年の年末頃のことだけど、ここに出てくる店のほとんどはもう潰れているし値段は高いしでもはやほとんど歴史的読み物かも。
それ以前の問題
ビートルズを執拗にコピーするバンドも長年やっているんだけど、ボーカルがちゃんと歌詞を覚えているという時点で既にキャバーンのバンドにはかわない。だってうちのバンド、同時に違う歌詞でハモっちゃうし・・・
MSの古川さん
PCを外の世界と接続して以来、ネットがなければ決して知り合うことのできなかったであろう人々との出会いに恵まれてきたが、2000年を目前にした今年はSAMさん こと
SAMさんの人柄はそのずば抜けたバイタリティや、マイクロソフト会長というヘヴィなポジションに附随する様々なイメージをはるかに超越した軽いフットワークを切り口に語られることも多いと思う。そして、それにも増して時折覗かせるおちゃめさに惹きつけられる。 子どもの心を失わず、思いついたアイディアは即座に実現する行動力を持ち、且つ思いやりがある・・・果たして10年後に自分はそんなおとなになれるのだろうか??(無理)
初めてお会いした日、僕は紹介していただいたSAMさんの素敵な仲間達の中で緊張気味だった。「わぉ、僕が混ざってていいんだろうか?」という感じ。食事の後で六本木のキャバーン・クラブへ連れていっていただいた。コアなビートルズ・カバーに盛り上がる。
この人のために何かお役にたてることがあればいいなと思わずにはいられない魅力的な方でした。